11/3  吉祥寺 アサクラ報告(文・写真)

 今週はローニン・アサクラが初担当。

 今年の米は不作だったが、新米はやはりうまい。ところで、普通稲刈りといえば黄色くなった稲を刈り取るイメージがある。つまり、2週間以上前に田んぼの水を落とし、稲をすっかり枯らしてから収穫するわけだ。しかし、実はこの方法は反則技なのを知っているだろうか? 稲が枯れてしまえばそれ以上養分を穂に蓄積できないので、本当は刈り取る直前まで水を張って稲を生かしておくべきなのだ。それでは、2週間以上も稲穂を枯れた状態で野ざらしにしておく理由は何か?という疑問が出てくるだろうと思う。手っ取り早くいえば、深く耕したドロドロの水田ではコンバインの車輪が沈没してしまうから、という単純な「機械」の都合なのである。米の味などは二の次、生産性第一で考えられた結果そうなった。2週間以上かけて田んぼを乾かし、その上でコンバインのお出ましという段取りになっている。ちなみに「コンバイン(combine harvester)」とは「収穫脱穀同時作業機」! 多機能だから当然高価、農協のローンも残っている大切な機械に働いてもらうのだから、地面が不安定な田んぼに入れて転倒でもしたら大ごとだ。


 
こんな経済効率最優先の米ではなくて、すこし高くてもよいから刈り取る直前まで生育を続けた米を食ってみたい、と思わないだろうか? 実は本気になって探せばないことはない、たとえば吉祥寺のナチュラルハウスで手に入れることが出来る(いつも置いてあるとは限らないが)。この米を作っている田んぼは、ほとんど耕さない(深さ30cm程度)ので、直前まで水を張っていてもコンバインの車輪が埋まることはないのである。それに稲を刈ったあとも切り株はまだ生きているので、再び水を張り冬を過ごさせる。その間に切り株などが腐って養分となり、藻や微生物が繁殖し小魚、水棲昆虫、それらを餌にする鳥も増えていくので、無農薬無化学肥料栽培に適しているわけだ。


 
さて、私ローニン・アサクラは30年来の菜食主義者なのである。日本では珍しがられるが、欧米人の間ではよくみられる。もっとも向こうのベジタリアンは、卵だけは食べるエッグベジタリアンだの、魚はOKのフィッシュベジタリアンなどの種類がある。私のように、動物性たんぱく質を一切拒む完全菜食者はヴィーガン(vegan)と呼ばれ、さすがに少数派なのは仕方がない。そのような制約の為、私が食料を調達に行く店は限られていて、その一つがこのナチュラルハウス[地図A]なのである


 
あとは吉祥寺ではサンロードの駅に近いところにある三浦屋[地図B]ぐらい、ここには「天外天」という味噌がある。ラベルの説明文「モンゴルの豊かな大自然の中で日本の味噌職人が、素材と製法にこだわって、こだわって仕上げた味噌です。無農薬で育てた大豆と米、天然の岩塩を使用。、頑固な職人が造りたくて造れなかった本物の味と風味。」。
 なぜモンゴルで造ると味が良くなるのか、今ひとつわからないが空気がきれいだからだろう。

 あれだけたくさんの食料品店がある吉祥寺で、私が利用できる店はたった2軒しかない。正直者が馬鹿を見る見本のようなものだ・・・・

NOVA ジオス モルモン教会

 
しかし諸君、当たりまえだが吉祥寺は食べ物屋とファッションだけの町ではない、私は英会話の学習のために週に何度も訪れるのである。まず北口駅前にはその名の如く「駅前留学のNOVA」が確かにあり、ライバルのジオスも大塚家具(旧近鉄百貨店)の向かいに出店している。私はジオスにもNOVAにも通ったが、かなりの授業料(一時間あたり4000円程度)を取られるのはいたしかたないところだ。しかし、ナチュラルハウスの少し向こうの五日市街道を越えたところにあるモルモン教会(末日聖徒イエスキリスト教会)[地図C]では、何と無料英会話教室をやっている。モルモン教に入れと強制されることは全くなく、あくまでボランティア活動で毎週木曜日の午後7時から2時間、アメリカ人宣教師が英会話を教えてくれる。先日行ったときはたまたまハロウィーン・パーティをやっていたのだが、さすがに本場だから盛り上げ方がうまい。ただしこの教会では酒類は一切禁止なので、オレンジジュースかアルコール抜きのルートビアで乾杯ということになる。

モルモン教会入口 モルモン教宣教師と

 
以上、食料調達と英会話で週に3回は吉祥寺に来るローニン・アサクラのレポートでした。




11/8  神宮外苑 ヤマザキ報告 (ゴタク・写真)


[地図A]   

 まあしかし、ままならぬのが世の中というものである。
 11月に入ったので神宮外苑の銀杏並木もいいかげん色付いているはずだと、取材に行ったのであるが、銀杏の葉は今だに青々しいままであった。


 
くやしまぎれに神宮外苑の内外をほっつき歩いた。

 見つけました。ご報告すべき地区を。
 外苑の東側、赤坂御用地との広大な敷地にはさまれて、都営アパート
[写真B]がある(地図の赤丸の場所)おそらく数年前に建てかえられたものと思われる、まだ新しいビル群である。青山通り(国道246号線)から折れて、銀杏並木の外側の柵沿いに、都営アパート方面に歩を進めると、路地にお稲荷さん、柵沿いの道に米屋、豆腐屋、その少し先に菓子店(いわゆる『駄菓子屋』)都営アパートの広場ではトラックの移動式青空八百屋が営業していた。
[写真B]
つまり、この外苑と赤坂御用地の間の一角は、都営アパートの他には、この4軒の商店と一社のお稲荷さんがあるのみである(表通りの国道246号線に面している1ブロックは除く)

稲荷神社 宮崎米穀店
      吉野屋とうふ店 青空移動青果店

 
これは、なかなか深い事を示唆している。
 つまり、「街は米屋・豆腐屋・八百屋・菓子屋・神社があれば成立する」のである。言い替えれば、日本人は

「米屋・豆腐屋・八百屋・菓子屋・神社」
が最重要の施設であるという事にほかならない。

 
その証拠に菓子店のとなりで営業していたと思われる中華料理店はすでに廃業していた。不況のおり、必要最小限の構成要素からはみ出してしまったものと思われる。

営業をやめた中華料理店 (左) 。向かって右は健在な菓子店

 
この項、次回(たぶん11日)へつづく





11/11  
神宮外苑
( 8日の続き)

 
8日にこの項、次回へつづく
とは書いたが 「街の最低限の構成要素について」 は、もう飽きたから、やめ。

 話は最初の「世はままならぬ」にもどる。 銀杏の葉の色づきを取材に行ったのに、ムダ足に終わったと悟ったときに、思い出した事がある。


 
1980年頃のある日、われわれは早朝6時に外苑イチョウ並木の南端(
青山通り)にいた。われわれ、というのはハラキリ・ブラザースではない。去年の11月19日の今週の東京でチラッと書いたしみの赤いソーメ (制作 オニオン・スライス・プロダクション)のスタッフである。といっても、主演のケンちゃん、脇役のおれ、監督の岩沢くんの3人だけなのだが。

 
われわれがフィルムにおさめたかったシーンは、イチョウ並木を疾走するケンちゃん、ヘロへロになりながら追いすがるおれ、といった画であった。人っ子ひとりいないイチョウ並木を、ケンちゃんとおれだけが走るカットを撮りたかったので、なれない早起き
(4時)して外苑イチョウ並木南端に集合していのであった

 
カメラ、三脚をセットし、簡単なリハーサルをして、いざ撮影開始という段になったときに、青山通りにタクシーが止まった。開いたドア越しに、乗客が料金を支払っているのが見えた。われわれは撮影の邪魔になるのではと危惧した。タクシーからは痩せた小男が降りてきた。その男を見て、吹き出した。
チビなのに、できるかぎり大きく強く見せようとしているのであろう、アフロヘアーに口髭当時のボクシングのJr.フライ級チャンピオンの具志堅用高に一生懸命に似させようとしている、ソックリさんであったからである

 
ダッセー!! われわれの誰もが、あからさまな嘲笑を浴びせかけたそのアフロ・ヒゲ・チビ男はおれ達のそんな態度は意に介さず、ジョギングを始め絵画館のほうへ去っていった。さあ、撮影開始、と思ったのもつかの間、その小男はイチョウ並木の北端まで行くと、あろう事かこちらへ戻ってくるではないか。アフロ・ヒゲ・チビ・ガリガリ・ダサダサ男はわれわれのいる所 (並木の南端) まで来ると、また絵画館のほうへ走って行く。奴が数回このパターンを繰り返すうちに、おれたちのイラ立ちは頂点に近づきつつあった(通勤時間帯になると人通りが増え、撮影ができず一日がムダになる)

 
「ぶっとばしちゃおうか」
 「言って分からなけりゃな」
等の会話が交わされた。


 
こちらへもどってくる、そのアフロ・ヒゲ・チビ・ガリガリ・ダサダサソックリさんを、腕組みし睨みつける。
 
その時イワ
(岩沢)がポツンと一言いった
 イワ 「あ…れ、本物じゃない?」
 ヤマ 「え」
 ケン 「え」
 ヤマ 「あ」
 ケン 「あ」
 ヤマ 「ひえ〜」
 ケン 「ひえ〜!」
 イワ 「ひえ〜!!」
 
そのとたん、アフロ・ヒゲチビガリガダサダサソックリさんが、オーラをぐわわああんと発散し始め、われわれに最接近する頃には、光の天使様になっていた。

 
腕力では絶対的にかなわない事が判ったとたん、おれはもみ手をしながら上目づかいに 「エヘエヘエヘ、試合がんばって下さいね〜エヘエヘエヘ」 などと態度を豹変させ、ご機嫌とりをしているのだから、まったく卑屈この上ない。具志堅さんはそんなザレ言にも 「おうっ!」 と誠実さあふれるカン高い声で答えてくれた。

 
なにしろ20年以上も前のことだから、この後、撮影がどうなったのかまったく憶えていない。ただその時も、物事は99%計画どおりには行かぬものだから、 「ままならぬ」 ことを楽しむしかないんでしょうなあ、とは思ったものである


  
世界Jr.フライ級チャンピオン具志堅用高様がタクシーを御下車なされた青山通り(国道246号線)外苑前




11/14  新橋 キタムラ報告 (文・写真)

[写真A]      
そば屋のおばちゃんに“かけそばシルブップレ(sil' vousplait)”と、間違っても言わぬ事註1

 
Pont Nuef
註2
 
ポン・ヌフもしくはポン・ヌッフ(発音はシラク大統領註3かクロード・チアリ註4に通じた方が正しいと思われる)…仏語が解る方、もしくはパリを訪れた方には覚えのある言葉・地名、そう!新橋です。あっ、こんにちは、キタムラです。今日は、今週でも来週でも良いのですが註5、新橋についてと云っても地名の由来をご紹介致します。巷では汐留が注目されてますが、私は西側の新橋が好きです。約20年前、JR新橋駅から内幸町へ通じる外堀通をよく歩きましたが、あまり変わってない街並みですよね註6でも古臭くなく。註7

あまり変わってないが古臭く感じさせない街並み註8 夜、スーツを着て立っていれば、インタビューを受けるかも…註9

 
新橋≒新宿÷3>神田註10 適当に式を記しましたが何となく感じません?何が…?大中小の企業あり、飲食店(多種多国籍)さん、風俗店さん、ギャンブル店さん、やくざ屋さん、ホームレスさん等々入り混じり、東京だなぁと思わせる場所註11。テレビ番組でもインタビューで駅前の汽車の前が多いのも皆さんご存知ですよね?!
 私を含め、変な者がウロウロしてますが、新宿より安全かな…と。 栄え過ぎず
註12、滅びず、何故か好きなんです。
 さてさて今回は(次回もあるのか?)街紹介
註13ではなく、地名の由来でしたね。註14
 
『新橋』註15は東海道にできた橋!橋があったんですね。1601年(何と!!パリのポン・ヌフは1607年に出来たのだ!註16)設定された東海道の起点は芝一丁目辺りだったが、3年後、日本橋へ延ばした。註17 この時、港区の北東端(銀座の入口)に新橋が架けられたらしい。(増上寺辺りは海だったぁ〜!註18) 時代もパリのそれと近い註19のは、何かの縁か…。
 新橋とは云うものの、江戸では非常に古い橋の一つと云うのも似て
註20おります註21。 1701年、芝口橋と名を変えるも明治になり新橋に戻されたとの事。駅ですが、明治42年烏森駅として開業、大正3年に新橋駅になりました。 昭和7年、新橋は町名となり、昭和40年、住居表示の町名となったとの事。註22 大変中味のない今週のTOKYO註23でした。またいつの日か、街を御紹介註24させて頂く日まで…アビエント!(A bientot)註25 


  編集部註

 註1
何の、何処の写真か分かりにくいが、これはJR新橋駅・銀座口出口にある、立ち食いソバ屋の店頭の写真である ( 下の写真参照のこと ) 。 しかしどうして「そば屋のおばちゃんに“かけそばシルブップレ(sil' vousplait)”と、間違っても言わぬ事」なのかは不明。まさか「かけそばシルブップレ(sil' vousplait)」と言うと包丁を持ってアバレだすということでもあるまい。

 註2 やにわにフランス語からの書き出しで面食らった人もいるだろうが、これは 「 写真A 」 のソバ屋の店名から出たものと思われる。
 註3 おそらくフランス語を正確に発音できる人物を挙げたものと思われるが、なぜ 「シラク大統領」 なのかは不明。
 註4 註2と同じ。 なぜこの2名が選出されたのか 「怪人キタムラ」 研究家にとっては、興味深い一行であろう。
 註5

せっかく読者が「今週の東京」をクリックしてくれているのに 「今週でも来週でも良い」などと書けるのは、アナーキストの面目躍如といったところである。
 註6 「あまり変わってない街並みですよね」―――その様な同意の求められ方をしても読者は困惑する事であろう。個々人の主観の相違というものがあるのだ。 だいいち、このホームページは 「東京を熟知している人のための東京観光案内」 ではない。新橋が 「変わっていない」 事が分かっている人は 「東京観光案内」 は読まないという前提で書かなければならないのだが。
 註7 「古臭くもなく」 と書くべきところであろう。どちらにしろ主観の押しつけである。
 註8 主観の押し付けである。
 註9 2002年の12月25日のレポートでこの機関車前広場はすでに紹介済みである。
 註10 このホームページでは未だ神田を取材した事はないので、街の雰囲気を式であらわすという天才的アイデアも意味をなさない。また、神田を知っていて新橋を知らない人は、ごく稀であるので、二重に無意味である。
 註11 「何となく感じません?」 を受けての言葉なので 「場所だと」 とするべきであろう。
 註12 主観の押し付けである。
 註13 「街紹介」 ではなく 「街の紹介」 とすべきである。 「山紹介」「川紹介」「商会照会哨戒紹介」などの単語が世にあふれると、日本語が混乱する。
 註14 自分で勝手に企画の趣旨を変えておいて、それを忘れて、また思い出すという、死んでしまった「理不尽大王・冬木弘道」のような思考回路である。
 註15 『新橋』 ではなく 「新橋」 とすべきである。
 註16 何故そんなにパリにこだわるのか不明である。
 註17 いままでの丁寧な語り口が、突然つっけんどんな調子に変わっている。キタムラの心理に何らかの変化があったものと思われるが、詳細は不明である。悪霊が憑依したのではないことを祈るばかりである。
 註18 註10と同じで、このホームページでは増上寺は未取材のため 「!」 付きで興奮されても、読者は困惑するであろう。
 註19 だから何故そんなにパリにこだわる。
 註20 何に似ているのだろうか。推定するに1607年に完成したパリのポン・ヌフは、パリ市内では古いほうの橋に属するのではないかと思われるが、その説明が無いので、確実な事は判らない。
 註21 「〜です。〜ます」 調にもどった。よかったよかった。
 註22 ここで行を換えるべきである。
 註23 「今週のTOKYO」 ではない。 「今週の東京」 である。
 註24 エッ?エッ?「地名の由来」じゃなくて、やっぱり「街の紹介」だったの????? めまいがするので、もう勘弁してくれ。おれが悪かったのなら謝る。
 註25 ソバ屋の店名がポンヌッフというだけで、ここまでフランスかぶれになれるというのも才能である。



 今回のキタムラのレポートは、おそらく本邦初の
  「インテリ・ボケ」というキャラ
が誕生した瞬間であると思われる。キタムラにはずーっとこのままの路線で行ってもらいたいものである。
                     
                     
[TOKYO SIGHTSEEING GUIDE  * USELESS ! * 編集部
]




11/21 千束   ( おおとり ) 神社  ヤマザキ報告 (都都逸もどき・文・写真)


熊手の手から 溜め息もれた
    あなた詮ない お酉さま

 お、おそまつ! (^^; m(_ _)m  \(^O^)/ \(^O^)/
\(^O^)/とりつくろい



 
昨日20日は、東京各地の神社で酉の市(二の)が立った。最も有名で規模が大きく、開催時間が0時〜24時という、主催者の大脳のA10神経がスパークし、熊手屋の主人の両目が (¥¥) になってる千束の鷲神社へ、見物に行ってきた。

 
酉の市、通称 「お酉さま」 の始まりはどうなっているのか知らんが (各自、調査の事)現在では「開運・飾り付き熊手大販売会」となっている。最も混雑する夜7時頃に取材に行ったため、詰めかけた群集にもみくちゃにされ、ロクな写真が撮れなかった。トップの写真がブレているのはそのためである。
 

 
それで熊手であるが、元は日本武尊の「武器」だった(
) そうであるが、今は 「運を掻き込む」 という縁起物になっている。縁起物としての原型は鷲神社で販売している右の写真のような素朴なものであったろうと思われる。
 一般に日本人全体に言える事なのかもしれないが、とくに東京出身の者は、この「縁起物」という言葉に弱い。科学的根拠を示せ、などと言う事はもちろん、ちょっとでも突っ掛るのは「ヤボ」ということになってしまう。「縁起物ですから」と言われれば、もう納得して沈黙するしかないのだ。

 それで思い出した事がある。格別な親愛の情を込めた握手をする時に、相手の手を包みこむように左手も添えるやり方があるでしょ。
学生時代に一時流行した事だが、冬などに風邪をひいて鼻水が止まらないときに、洟をかんだティッシュ・ペーパーを 「縁起物、縁起物ですから〜」 という言葉と共に、この握手の仕方で友人にそっと握らせ、押しつけていまうのだ。


 くだらん。


    
神社の前の通りではゴミ収拾車が待機していて、去年買った分の熊手を回収していた何かもったいないような気がするが、使えそうな部分を持って帰って、自分で新しく作ってしまうなどというのはもってのほかである。

 
こうしてバカな事を言っているうちに、またしても今年も終わっていくのであろう。


  春を待つ 事のはじめや 酉の市    其角




11/28 有楽町 東京国際フォーラム ヤマザキ報告 (駄法螺・写真・イタズラ書き)


「本展で展示されている人体標本は『プラストミック』という最新技術により、半永久的に常温保存できるもので、全て本物です」
 
( 『人体の不思議展』 チラシより )

「人体の不思議展」入場料一般1500円


   21世紀版 衛生博覧会



 
現在、国際フォーラムでは「人体の不思議展」が催行されている。
 
入口の呼び込みのお兄さんのラグタイム的な態度と、「写真撮影禁止」という ( 科学を啓蒙するのなら、むしろ撮影を奨励しなければならないはずなのに。いつものことであるが
)前頭葉シャウト状態と、グッズ売り場 () のホンキイトンクぶりから、上記の白文字のように判断した。

 なぜ、どう「不思議」なのか説明されていないし、「手で触っても汚れない!」とチラシに書いてあったのに、会場に入ると「展示物に触らないでください」という注意書きがしてあったりで、脳髄にシビレをきたす、かなりアヤシイ催し物である。「興行」のニオイがプンプンする。


 
・・・・・・・1500円も徴収したうえに、写真を撮影させないと、ここまでボロクソに言われてしまう事になる。

                   
会場の外側の壁の2箇所にのぞき穴があり、ほとんど観客しか見えないのだが、ときおり展示物が垣間見える。このアイディアだけは、賞賛に値する。


 
 相田みつを美術館  国際フォーラムB1F (入場料 一般800円)
 「人体の不思議展」が開催されているのと同じ棟の地下1Fに、11月1日にオープンした。一部に熱狂的ファンを有する、相田みつをの書だけを展示してある美術館である。


 
ここの美術館も、もはや当然の如く撮影禁止。もう皆それぞれの経済活動に励みやがれ。
 ただし、館内はもう亡くなってはいるが相田みつをのお人柄か、ほのぼのとした落ち着いた空間で、ぐるり一巡して、喫茶室で一杯200円のところのコーヒーを、現在割り引き中とかで100円でいただき、のんびりと過ごす事が出来た。


 
作品の写真が撮れなかったので、読者諸姉諸兄には、おれの書いたイタズラ書きで、お目汚しをしてもらう事にする。



 
なっ!写真を撮らせないと、こういう事になるのである。









今週の東京 WEEKLY TOKYO
ハラキリ・ブラザースのトーキョー サイトシーイング ガイド

TOKYO SIGHTSEEING GUIDE  * USELESS ! *







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