侯爵邸に棲む童 東京の中心部沿線をJR山手線が走っている。上野駅近辺で暮らしているので、反対側の渋谷方面にはとんと疎い。 おれにとって五島プラネタリウムが無くなった渋谷は、ときおりハンズに出向くだけの街である。 であるから渋谷を基点とした私鉄に乗って郊外へ向かうなどというのは、もはや人外魔境探検探検隊の心持ちである。向かったのは渋谷からたった2つ目の駅「駒場東大」近くにある駒場公園。ここにかつて東洋一と謳われた洋館があり、一般公開されていることを知ったからであった。 道路上にあった案内板を無視して、公園の裏口より入園する。その公園は鬱蒼と木々が茂っていた。昼なお暗い園内を歩を進めると、突然バカでかい石灯籠などが出現した。そのただならぬ陰鬱な気配は、程近い渋谷の雑踏が懐かしく思えたほどであった。平たく言えば「こわいよ〜〜〜」状態である。 何故か圧迫感を感じる広場があり、ファミリーと思われる数組が遊んでいた。偶然なのか白人系外国人ばかりであった。全員「13日の金曜日」のようなホラー映画で、上映開始から15分以内に惨殺されるような人物の雰囲気をかもし出していた。 旧前田邸(加賀百万石の前田家の第16代目当主だった前田利為侯爵の旧邸宅)は土・日のみであるが無料公開されていた。旧古川庭園の腐れ外道的半(反)公開的態度とは雲泥の差といえよう。
洋館であるが見学者は入り口でスリッパに履き替え、ポリエチレンの袋に外履きを入れ館内に入る決まりであった。 優雅な気持ちで洋館に入っても、見学者は病院を脱走してコンビニにウィスキーを買い漁りに行ったアル中患者の風体になってしまうのであった。
3階は非公開であったが、2階は中庭を挟んで回廊式になっていてぐるりと屋敷の中を一周できた。裏手の使用人部屋は和室になっていた。
邸内案内図にはきっぱりと旧女中部屋と記されていた。
2階部を一周して戻ってくると、つつつついに出た!! そこには座敷童が微笑をたたえこちらを見ていた。 可愛いとはいえ妖怪には違いないのだから、見なかったことにして、近くの扉の中に飛び込んだ。そこは一番広い前田侯爵夫人室であった。 さすが婦人室だけあって、大理石の鏡台がしつらえてあった。何となく気になってそちらに近づいていくと……
この項、明日以降へつづく |
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(10日のつづき) 12/13
旧前田侯爵邸洋館に和館が隣接している。案内板によると 「前田家では、ふだんはこの和館を使用することはなく、ひな祭りや端午の節句、お茶会や私食の会などを催すときに使われたといわれています」 と解説されていたが、おれには 家屋自体も書院造の美しい建物なのだが、座敷から見る裏庭が殊のほか美しかった。 まんま『硝子戸の中』である。このような家屋の中に厚い木の座卓があれば、文豪になれるような錯覚に陥るではないか。 石造りの要塞に立てこもるのか、蹴り一発で踏み込める、木と紙で作った家で自然と調和して暮らすか、どちらかを選べといわれたら、これは完全に後者である。明治以降どうもこちら側が随分とないがしろにされている気がするなあああ。だいたい東洋の小国人がむやみやたらと欧米風を有り難がるのが間違いではないのか。 たとえばイギリス人がロンドンの真ん中に日本風の城を建て、着物を着てちょんまげを結って得々としていたら珍妙な光景に見えるであろう。それはそれで可笑しくて良いのかもしれないけど、かなりおマヌケな光景では有るね。それと同じ事を我々はマジに「格好いい」と思ってやっているのだ。 さらに不幸な事には、すでに我々自身が、普段着で着流し、正装で紋付羽織袴などという格好をすると、自己顕示欲過剰の奇矯な行動と感じるようにさえなってしまっている。どうなっておるのだ。
つらつら考えると、どうも明治維新というのがアヤシイということになってくるのであるが、これはオレのシラタキ脳では荷がかちすぎる。脳のカラータイマーが点滅を始めたので、美しい庭を堪能する事につとめて旧前田邸和館を辞した。
牛たちに見送られながら旧前田侯爵邸・和館を出た。今度は新緑の季節に来たいと思った。 (この項 おわり) |
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パパの子供たちとして
足立区立郷土博物館へは、東京メトロ北綾瀬駅から歩いていった。30分くらいかかった。やや長めの道中であったが、道すがら現代東京の数々の風景が撮れ
やっと足立区立郷土博物館にたどり着いた。実際に駅からかなり遠かったが、写真加工も時間がかかった。ハヒーハヒー。 ( この項 明日以降へつづく ) |
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(27日のつづき) 12/31 足立区立郷土博物館には、この地の縄文時代から近代までの、生活道具や祭祀用具などが展示されていた。
しかし、品川歴史資料館の項でも書いたが、大江戸博物館を見慣れたおれにとっては、やはり物足りない。それでも区立の博物館に過大な期待を寄せる方が無茶というものだろう。 日も暮れかかっていたので、あとは博物館の裏手にある日本庭園を見て帰るかと思い始めたとき、2階の通路でとんでもねえ展示物を発見した。 そこにはギ装置Rさん人形がっ。いや正しく言えば8歳児の頃のギ装置R人形が、誰を待つでもなく直立し続けていた。 どのくらいにているかということは、こちらの12月19日の日記を見てね。 昔、確か、てんぷくトリオの時代劇コントで、露店のインチキ古物商が大・中・小の髑髏を台に乗せ 「これが豊臣秀吉が3歳のときのシャレコウベ。これが12歳のときのシャレコウベ。これが50歳のときのシャレコウベ」 とやっていた事を思い出した。 足立区はかつて紙漉きの産業が発達していた土地で、江戸から回収した紙の再生の技術を生かして、お面、人形などの民芸品が多く造られていたらしい。現在でも足立区で生産された「張子紙」という種類の紙で、ダルマ・人体模型・草履の鼻緒の芯が生産されているとの事である。 ( この項明日以降へ続く ) |
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( 29日のつづき) 12/34 こちとらまだ年は明けていない。 そんなにファッショ的に物事を決められても迷惑千万である。 足立区立郷土博物館の裏手は美しい庭園( 東淵江庭園)があった。 2006年の冬は華麗なる寂寥感とともに暮れようとしていた。 ( この項つづく) |
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この項 おわり |
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