2006


  1/22 上野公園  国立科学博物館 ヤマザキ報告 ( ナルト海馬報告 ・写真)

●国立科学博物館
                            
JR上野駅公園口より徒歩約7分   JR青森駅より徒歩約53日
                         開館時間
9:00 〜17:00 (入館は16:30 まで)
金曜日のみ9:00 〜20:00 (入館は19:30 まで)
                         休館日
毎週月曜日(日・月曜日が祝日の場合は火曜日)
年末年始(12月28日〜1月1日)
                         入館料  
一般・大学生 500円
小・中・高校生 無料

        フライデーナイト・フェーバー


 明けましておめでとうございます、と言いたいところだが、こちとら明けてもいないのでお目出たくもない。
 去年の整理がつかなくて、年賀状にも、大掃除にさえも、いまだに手が着けられないでいる。旧正月までに年が明けることができれば御の字である。

 などという聞きたくもない個人的なボヤキを聞かされた皆様に、お年玉代わりの情報がある。
 上野の国立科学博物館にて1月の29日まで
科博・干支シリーズ2006 戌
と題して、
南極観測犬ジロと忠犬ハチ公剥製(本物!)が展示公開されている。

           

               

 巷間まことしやかに伝えられている「ハチが渋谷の駅前に主人を迎えに行っていたのは、駅前の屋台のヤキトリ屋の酔客から、お余りをねだるためだった」という噂は、この資料を読む限り間違いである。

 11年の生涯のうち初めの1年半を可愛がってもらった上野教授の姿を求めて、1歳の仔犬が浅草から渋谷まで日参していたのだ。浅草→渋谷間には幾つもの駅があり、また露店も有ったろう。腹を満たすだけなら、何より引き取られた先が浅草なのだから、エサになる残飯には事欠かなかったはずである。

                  

 ハチの生涯の望みは、優しかった上野英三郎氏に頭を撫でてもらいたかった、それだけだったはずだ。

 後世の人間が「忠犬」などという詰まらん冠をかぶせるから、分かりにくくなっているが、これはヒトという動物と、イヌという動物の愛の物語である
(余談だが、おれにアンタってホントーにサイテ―!!などと鬼のような形相で悪罵の限りを投げつけて去っていった女どもに、百万遍聞かせてやりたい逸話である)


                

 しかし、剥製になったハチは、何だか嬉しそうであった。もし、あの世というのが本当にあるのなら、ハチは上野教授に思う存分甘えている事であろう。

  

  


  





  

 
ジロもお忘れなく〜。



 この企画は常設展示館内の特別展示であります。つまり「特別展」のように千円もニ千円も入場料を払う必要はありません。それと29日までの企画なので興味のある方はお早めに。

この項(国立科学博物館)つづく


               
(23日のつづき)

1月31日

 もうひとつインフォメーション。
 ご存知の方も多いと思うが国立科学博物館は、金曜のみ通常午後5時閉館のところ、
8時まで延長開館している。

 ここがミソである。この時間延長サービスが一般に浸透してないせいか、冬の寒い日などは館内に見学者が極端に少ないのだ。 広いフロアーに、おれ一人、恐竜達の巨大な骨格標本に囲まれるという事もままある。

B1F 「地球環境の変動と生物の進化/ー恐竜の謎を探るー」  

 古代生物に見つめられているような、話しかけられているような、恐いけど嬉しい、とんでもなく贅沢な時間を過ごす事が出来る。

  「腹減りましたなー」 「ほんまやワシら、骨と皮だらけや」


この項、明日か明後日か来週か来年か来世につづく


          

(1月31日のつづき)

科学博物館リポートの最中ではあるが、昨日テレビをつけっぱなしにしておいたら、4、5年前からの疑問が解けたので書きつけておく。

数年前から街やテレビやショッピングセンターのBGMなどで耳にする、若い女性シンガーの「タリラリ〜」というリフレインの曲が気になっていた。天才バカボンは世代を超えて不滅だ! とニヤリとしていたのだが、どうして、今、バカボンなのかさっぱり判らなかった。HMVかTSUTAYAへでも行って「タリラリ〜」の曲下さい、と言って、歌詞カードを入手すれば理由が判明するだろうとは思っていたが、おれは強度の音痴であり、やにわにそのフレーズだけを唸っても嘲笑されるだけの可能性が大であると判断して、疑問は謎のまま放置していた。

それが昨日の音楽番組で氷解した。テレビからその曲が流れてきたので、画面を見てみると、歌詞と曲名が表示されていたのだ。
もうお気付きの方もあると思うが、おれが「タリラリ〜」だと思っていた歌詞は「Darlin', Darlin'」であり、『my sweet darlin' 』というとてもポピュラーなヒット曲らしかった。

矢井田瞳嬢は、おれが聞き間違えていた歌詞に変更して、再レコーディングをするべきである。ファン層が上下に1割づつ確実に増えるはずだ。



 2月4日

 くり返す事になるが、金曜の夜のひと気の無い科学博物館は、ある特別の雰囲気がある。


 1F 地球の多様な生き物たち


 

                   

 微生物や鉱物、人間や技術、時間やジャンルを越えたあらゆるもの、つまり地球全体とその歴史がドドドドドと迫って来る様な錯覚に陥るのだ。




 B2F 地球環境の変動と生物の進化


  

                 
        


 時空をさかのぼり三葉虫の意識に入り込もうとしたら、発狂しそうになったので中止した。その手の事が好きな人は、とても危険なので注意されたし。








 うーーーん。 Dinamite!!


この項まだつづく


               

(2月4日のつづき)

『my sweet darlin' 』の件ではすっかり世捨て人状態を露呈してしまったが、ではでは
「♪所以夏薔薇判読〜〜〜!!」
と唄っているアメリカ人歌手は、諸君、いったい誰だか分かるかね?


答 : かのエルビスプレスリーです。『HOUND DOG』でちゃんと「You ain't nothin' but a Hound Dog」と熱唱しています。



2月15日

 地下3Fに恐るべきマシーンがある。操縦桿のようなレバー
(博物館の操作方法の表示には『ジョイスティック』と書いてあった)を操作し、銀河系宇宙を自由に飛びまわれるのだ。



 これはアブナイ装置である
(危険な装置といってもギ装置Rさんのことではありません。念の為)
 まー、面白すぎ。のめり込んで操作していると、ヨダレまでたらして「行け〜〜〜!!ギューインギューインシュビデュバヤ〜〜〜!!!」と叫んでいたりする。ほとんどドラッグである。


 
サンプル動画をご覧になりたい方は写真をクリックしてください。


 そして宇宙の余りの広大さに呆れ果てる。


 んー。コンビニで買うオムスビは、中央のリード・セロファンテープをくるりと回して三角の底辺の端の両側を引っ張ると、パリパリの海苔がご飯に上手い具合に巻かれる仕組みになっている。しかしおれはこれが完璧に出来たためしがなく、必ず両端、もしくは片方の端に、親指のツメ大の海苔の切れ端が残ってしまう。もったいないので、それを取り出して、オムスビに貼り付け直して食う。何かとてもセコイ事をしているような気になる。

 それがどうだこの宇宙の広さと比べたら、そのケチ臭い海苔の小片だろうが、アンドレ・ザ・ジャイアントだろうが、ガラモンだろうが、ヒマラヤ山脈だろうが、汎太平洋マントル連合だろうが、そんなもなあ、じぇーんぶ宇宙の塵と同等の存在と認識せざるを得なくなるのだ。


銀河系の直径は約10万光年。地球から銀河系の中心までは約2万8000光年。
1光年は約9兆5000億キロメートル(!)だから、世界を飛びまわる国際的ビジネスマンが、いくらマイレージを貯めたとしても、銀河系旅行には屁のツッパリにもならない。


 アイデンティティの危機と言うか、逆に肩の荷が下りたと言うか、とにかく脳内真っ白状態になること請け合いである。

 『墓もいらぬ 戒名もいらぬ 焼いた骨は捨ててよい
                                     古海 卓二 (1894−1961)



この項、もう終わると思ったら大間違いである。「極楽動物園+1」とは別人のように、キチガイ全開のままダラダラやるのだ (『極楽動物園』が媚びてやっているとわけではないよ。こちらはファミリー向けではないという意味。あれはあれで愉しんでやってるからね)



                   

(2月15日のつづき)

このページのトップに掲げた「フライデーナイト・フェーバー」のフェーバーはフィーバーのケアレスミスではなく、訛った口調でややユーモラスな表現を狙ったわけでもない。

ここでまたもやトンパチ発言であるが、諸君、ローハイドを知っておるか。おれの子供の頃の2大テレビ西部劇といえば『ララミー牧場』と『ローハイド』であった。その片方のローハイドは人気番組であったにもかかわらず、アメリカ本国で突然制作中止になって、番組が終了してしまった。理由は主役級の登場人物であるフェーバーさんが、ロケ中に川で溺死してしまったからなのだ。

つまりですね、金曜の夜は科学博物館に行って「知の洪水に溺れよ」と言いたかったわけです。



3月3日

 科学博物館3Fには、あまた数百体の剥製が展示されている。




   
  
 

 これでもかと言わんばかりの怒涛の剥製攻撃である


 閉館30分前の人気のない剥製展示室を歩く。不思議だが「剥製ー死体」という連想から来る恐怖感のようなものは襲ってこない。そこにはあるのは「標本」であり、感じるのは生命の多様性やそれを育む地球の自然環境に対する驚きであった。


                 誰〜〜〜もいない・・・・・・。



 しかし、ただ1体、こちらをイタズラっぽい目で見ている剥製がいた。あきらかにこちらを「見て」いるのである。
剥製というものは眼球は保存できないので、人造の物がはめこまれているはずだが、その眼は何かの信号を発していた。


 アングルを変えても、見てる!


 当然の如く気になって近づいてみた。解説板には 「ニホンオオカミ  1905年の奈良県での捕獲例を最後に絶滅した。日本の自然、文化、民族に深く定着してきた」と記されていた。



 何かが腑に落ちなくて、家に帰った後で「ニホンオオカミ」を検索してみると、とんでもねえ事実が、古典落語の「ぞろぞろ」の如く判明した。



この項、明後日の5日につづく



3月5日

すまぬー。只今5日の午後11時55分であるが、本日中の更新は無理だ〜。ゆるしてくりゃー。
     

3月9日

 家へ戻り検索してみた。「東京大学総合研究資料館」のホームページでニホンオオカミについて書かれていたのでさっそく読んでみた。
 おれのザル脳にかろうじて引っ掛かったのは、以下の通り。


ニホンオオカミの剥製は日本国内には3体しかない。
オオカミはヨーロッパにおいて羊などを襲う害獣とされ、キリスト教文化圏で18・19世紀に大規模な駆除が行なわれた。
日本では古来からオオカミ=「大神」であった (秩父の三峯神社はオオカミを祭っている)。農作物を荒らすイノシシやシカなどの草食獣を襲っていたからである。
ただし、オオカミが草食獣の老齢個体や病弱な個体を襲うことにより、結果的に草食獣の健康状態を保たせていた。モンゴルやイヌイットの文化に「オオカミはヒツジの医者」という意味の言葉がある。
明治時代になって、古来からの文化に手のひらを反したようなニホンオオカミの撲滅作戦が行なわれ、1905(明治38)年に絶滅した。

食物連鎖の頂点にいたオオカミを絶滅させてしまった事で、日本の生態系は根本的にバランスを欠くものとなってしまった。


 いつ頃からか忘れたけど、おれもオオカミはヨーロッパの童話にあるような「オオカミ=凶悪一辺倒の動物」ではない事は知っていた。
 しかしオオカミの語源が大神だとは……。


 前々から漢字のが、どうしてケモノヘンに良であるのか不思議であった。害獣なら と書かれてしかるべきなのに(関係無いけど獣偏に王とかいて「狂」というのもトンチが効いてますね) 真実はこのような理由からだったのだ。

 妄信的な欧米文化の肯定的受容と、古来我々が持っていた哲学・文化をないがしろにした結果、貧乏クジをひいたのが、ニホンオオカミなのだった。



 その時気が付いた。去年の暮れの「
チッタイタリア」→「岡本太郎記念館」の、やや興奮状態の流れは、この国立科学博物館へ漂着させる為の、天か神か運命かまたはそれ以外の何者かの計画であった事を。
 足の向くまま気の向くまま、何も考えずに行き当たりばったりで編集していたつもりの「今週の東京」も、しかし、誰かの見えざる計画のままであったのか。なかなか巧みなやり口であり、言い方を変えれば粋なはからいでもあった。

 (05/11/13)

 
(05/12/31)  



 国立科学博物館の片隅で、今も信号を発しつづけているであろうニホンオオカミくんよ、おれに出来るのはこの程度だ。ゆるせ。








       次のページへつづく





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