フライデーナイト・フェーバー 明けましておめでとうございます、と言いたいところだが、こちとら明けてもいないのでお目出たくもない。 去年の整理がつかなくて、年賀状にも、大掃除にさえも、いまだに手が着けられないでいる。旧正月までに年が明けることができれば御んの字である。 などという聞きたくもない個人的なボヤキを聞かされた皆様に、お年玉代わりの情報がある。 上野の国立科学博物館にて1月の29日まで 「科博・干支シリーズ2006 戌」 と題して、南極観測犬ジロと忠犬ハチ公の剥製(本物!)が展示公開されている。
注 この企画は常設展示館内の特別展示であります。つまり「特別展」のように千円もニ千円も入場料を払う必要はありません。それと29日までの企画なので興味のある方はお早めに。 この項(国立科学博物館)つづく |
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(23日のつづき) 1月31日 もうひとつインフォメーション。 ご存知の方も多いと思うが国立科学博物館は、金曜のみ通常午後5時閉館のところ、8時まで延長開館している。 ここがミソである。この時間延長サービスが一般に浸透してないせいか、冬の寒い日などは館内に見学者が極端に少ないのだ。 広いフロアーに、おれ一人、恐竜達の巨大な骨格標本に囲まれるという事もままある。
古代生物に見つめられているような、話しかけられているような、恐いけど嬉しい、とんでもなく贅沢な時間を過ごす事が出来る。
この項、明日か明後日か来週か来年か来世につづく |
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(1月31日のつづき)
2月4日 くり返す事になるが、金曜の夜のひと気の無い科学博物館は、ある特別の雰囲気がある。
微生物や鉱物、人間や技術、時間やジャンルを越えたあらゆるもの、つまり地球全体とその歴史がドドドドドと迫って来る様な錯覚に陥るのだ。
時空をさかのぼり三葉虫の意識に入り込もうとしたら、発狂しそうになったので中止した。その手の事が好きな人は、とても危険なので注意されたし。 うーーーん。 Dinamite!! この項まだつづく |
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(2月4日のつづき)
2月15日 地下3Fに恐るべきマシーンがある。操縦桿のようなレバー(博物館の操作方法の表示には『ジョイスティック』と書いてあった)を操作し、銀河系宇宙を自由に飛びまわれるのだ。 これはアブナイ装置である(危険な装置といってもギ装置Rさんのことではありません。念の為)。 まー、面白すぎ。のめり込んで操作していると、ヨダレまでたらして「行け〜〜〜!!ギューインギューインシュビデュバヤ〜〜〜!!!」と叫んでいたりする。ほとんどドラッグである。
そして宇宙の余りの広大さに呆れ果てる。 んー。コンビニで買うオムスビは、中央のリード・セロファンテープをくるりと回して三角の底辺の端の両側を引っ張ると、パリパリの海苔がご飯に上手い具合に巻かれる仕組みになっている。しかしおれはこれが完璧に出来たためしがなく、必ず両端、もしくは片方の端に、親指のツメ大の海苔の切れ端が残ってしまう。もったいないので、それを取り出して、オムスビに貼り付け直して食う。何かとてもセコイ事をしているような気になる。 それがどうだこの宇宙の広さと比べたら、そのケチ臭い海苔の小片だろうが、アンドレ・ザ・ジャイアントだろうが、ガラモンだろうが、ヒマラヤ山脈だろうが、汎太平洋マントル連合だろうが、そんなもなあ、じぇーんぶ宇宙の塵と同等の存在と認識せざるを得なくなるのだ。
アイデンティティの危機と言うか、逆に肩の荷が下りたと言うか、とにかく脳内真っ白状態になること請け合いである。
この項、もう終わると思ったら大間違いである。「極楽動物園+1」とは別人のように、キチガイ全開のままダラダラやるのだ (『極楽動物園』が媚びてやっているとわけではないよ。こちらはファミリー向けではないという意味。あれはあれで愉しんでやってるからね)。 |
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(2月15日のつづき)
3月3日 科学博物館3Fには、あまた数百体の剥製が展示されている。 これでもかと言わんばかりの怒涛の剥製攻撃である 閉館30分前の人気のない剥製展示室を歩く。不思議だが「剥製ー死体」という連想から来る恐怖感のようなものは襲ってこない。そこにはあるのは「標本」であり、感じるのは生命の多様性やそれを育む地球の自然環境に対する驚きであった。 誰〜〜〜もいない・・・・・・。 しかし、ただ1体、こちらをイタズラっぽい目で見ている剥製がいた。あきらかにこちらを「見て」いるのである。 剥製というものは眼球は保存できないので、人造の物がはめこまれているはずだが、その眼は何かの信号を発していた。 アングルを変えても、見てる! 当然の如く気になって近づいてみた。解説板には 「ニホンオオカミ 1905年の奈良県での捕獲例を最後に絶滅した。日本の自然、文化、民族に深く定着してきた」と記されていた。 何かが腑に落ちなくて、家に帰った後で「ニホンオオカミ」を検索してみると、とんでもねえ事実が、古典落語の「ぞろぞろ」の如く判明した。 この項、明後日の5日につづく |
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3月5日 すまぬー。只今5日の午後11時55分であるが、本日中の更新は無理だ〜。ゆるしてくりゃー。 |
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3月9日 家へ戻り検索してみた。「東京大学総合研究資料館」のホームページでニホンオオカミについて書かれていたのでさっそく読んでみた。 おれのザル脳にかろうじて引っ掛かったのは、以下の通り。
いつ頃からか忘れたけど、おれもオオカミはヨーロッパの童話にあるような「オオカミ=凶悪一辺倒の動物」ではない事は知っていた。 しかしオオカミの語源が大神だとは……。 前々から漢字の「狼」が、どうしてケモノヘンに良であるのか不思議であった。害獣なら と書かれてしかるべきなのに(関係無いけど獣偏に王とかいて「狂」というのもトンチが効いてますね)。 真実はこのような理由からだったのだ。 妄信的な欧米文化の肯定的受容と、古来我々が持っていた哲学・文化をないがしろにした結果、貧乏クジをひいたのが、ニホンオオカミなのだった。 その時気が付いた。去年の暮れの「チッタイタリア」→「岡本太郎記念館」の、やや興奮状態の流れは、この国立科学博物館へ漂着させる為の、天か神か運命かまたはそれ以外の何者かの計画であった事を。 足の向くまま気の向くまま、何も考えずに行き当たりばったりで編集していたつもりの「今週の東京」も、しかし、誰かの見えざる計画のままであったのか。なかなか巧みなやり口であり、言い方を変えれば粋なはからいでもあった。
国立科学博物館の片隅で、今も信号を発しつづけているであろうニホンオオカミくんよ、おれに出来るのはこの程度だ。ゆるせ。 |
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