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 ★ 夏休み特別企画  

   デザート (Desert) には乾燥バナナのカケラも無い
  


 でな、砂漠の話である。
 おれがかつてインドを6ヶ月かけて一周していた時、インドとパキスタンとの間にあるタール砂漠という所へ行った事がある (後年、この砂漠でインドの核実験が行なわれた)。この砂漠の真っ只中にあるジャイサルメールという町に2週間滞在した。もう15年以上前の事だけど。

 この辺りの暑さと乾燥具合は、われわれ北東アジアの人間には驚異であった。

陽射しは殺人光線。
2日間で踵がヒビ割れてくる。
昼暑く、夜も暑い ( この事は後述 )
昼2時前後にはバザールも店を閉ざし、ゴーストタウンのようになる。
イヌはドブに身を浸し涼をとっている ( 犬畜生とはいえ、本能的な衛生観念はあるはずだと思うが、猛暑対策のほうが優先されるようである )


言うまでもなく水は貴重品であり、安宿から支給される水浴用の水は、バケツ1杯 ( 節水すれば、この量でシャンプー・リンスして、身体を洗い、すすぐ事ができるようになる)
洗濯物は5分で乾く。

オレンジの皮をむいて5分ほどすると、その皮は「破片」という感じになり、カミソリのように皮膚を裂けるくらいに乾燥する。

ボトルに入ったミネラル・ウォーター1本の価格は、ほぼ1泊分の宿泊料と同額 ( たしか10ルピーほど。当時のレートで邦貨にして約200円 )


 
「昼暑く、夜も暑い」というのは意外と思われるかもしれないが、事実である ( 夜は凍えるほど寒い、というのが砂漠に対するおれの貧弱な知識であった)
おれのような旅行者は探検家ではないので、砂漠の砂の上で眠るわけではなく、町の安宿に逗留する事になる ( 写真参照 )。昼はもうお話にならないような熱風地獄。

 そして待ちに待った日没を迎えるわけだが、石造りの建物というのは、ちょっと考えただけでは暑さに強そうな気がするが、昼間にジリジリと太陽に照らされた石造りの安宿は、夕方には建物自体がホットプレート状態になっていた。明け方ようやく石も冷めてきて、ウトウトし始めると、もう太陽はすっかりやる気を漲らせて、天空でファイティング・ポーズをとっている。そして、すかさず熱射・熱風。




           砂漠の城塞都市ジャイサルメール

廃墟や空爆の後ではない。おれの泊まっていた安宿である

 もういけませんと、3日で退散しようと思ったが、せっかくこんな辺境まできたのだからと、一念発起して 「キャメル・サファリ」という3泊4日のラクダツアーに参加した。

 ラクダの乗り心地というのは、江戸時代のまた裂きの刑もかくやというものであったが、小さな集落を訪れて子供達と遊んだり、大砂丘に感動したり、直視できないほどの砂漠の満月に、シルエットになったラクダ達という絵画のような風景を目の当たりにして、楽しいものであった。


 ただ、今思い起こせば楽しかった、ということであり、ツアーの最中はラクダの揺れによる臀部及び内腿の痛み、ノドの渇き、直射日光による体温上昇との戦いである。4日目の昼下がり、遥か遠くに、蒼く光るお盆のようなものが見えた。ほどなくそれは 「オアシス」であること認識した。
 それは、ほんとーに絵に描いたようなオアシスであった。複数の種の動物達が、ケンカをするでもなく仲良く水を飲んでいる。まばらではあるが樹木も生えている


 ああ ・・・・ あそこで泳ごう ・・・・・・


 そこには、ただ水があるだけなのに、穏やかな優しいバイブレーションが満ちていた。

 しかししかし、いよいよオアシスのほとりに立ってみると、おれの幻想をブチ破る現実と対面する事になった。水辺まで行ってみると、これは、集まってきた動物達のフンだらけなのである。

 水浴はあっさり諦めたが、問題は飲料水である。当然ここで補給しなければならない。仕方がないので、なるべくフンが少ないような気がする岸辺で、ポリタンクに水を入れた。水は、緑茶のような色をしていた。沸騰させても不気味であったので、インスタント・コーヒーを入れて黒っぽくして飲んだ。


闘魂ハチマキをしてツアーに参加する

写真では美しく見えるオアシス


 その日の夕方、ジャイサルメールの町にたどり着き、ツアーは終わった。 「オアシスで水浴」の夢破れてしまったので、町に到着するやいなや、カラカラに渇いた身体に、よく冷えたビールを存分に流しこんでやろうてえ算段で、町に一軒だけあった非合法的酒屋におしかけた。

 究極のビール・ウマウマ状態であったはずだったが、しかしこれは大ビンを半分ほどラッパ飲みしたところで、胃が痛くなってしまい、それ以上飲めなくなってしまった。過度に陽に照らされ続けたので、体がついていかなかったということだろう。ことほどさように砂漠地帯とは、過酷な世界である。

 町に戻ってから、一週間ほど無気力状態で過ごした。無気力ではあるが暑いものは暑く、ついに耐えられなくなり、鉄道で14時間かけて ( この汽車も真昼間の砂漠をヨタリ走るオーブン的拷問列車 ) ジョードプルという、この地方では最大の都市まで逃げ帰った。


 やたら暑い暑いと書いたが、具体的な数字が書けないのには、こちらも恐縮している。どこにも寒暖計が見当たらなかったのだ。自分でも日本を出発する前に、キーホルダー型の温度計を登山用品店で買い求め、持参して行ったのであるが、ジャイサルメールに到着したその日に、安宿の共同便所の便壷に、部屋のカギと共に落下させてしまったのである。

 あの温度計付きキーホルダーが、その生涯を、ウンコの温度を測り続けることで終えるのかと思うと、胸が痛むが、今となっては、もうどうしようもない。










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