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西池袋 極真会館総本部道場 (豊島区) |
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ヤマザキ報告 |
( 脳天釜茹速報・写真) |
ゴッドハンド、牛殺し、実践空手という単語を並べられても誰のことを言っているのか判らない者は、日本男児ではない。逆に言えばスカンジナビア系ニカラグア人でも、正解を口にすれば我が同胞である。
西池袋にある極真会館の本部は、実践空手(フル・コンタクト・ルール)を世に広めた、故・大山倍達が空手伝道の総本山としたカラテの聖地である。
本部道場の建物は1965年の竣工で、現在では近くにホテル・メトロポリタンや東京芸術劇場が建設され、それらの建物と比較してしまうと、いかにも小さく見えてしまうようになった。
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ホテル メトロポリタン |
東京芸術劇場 |
しかし、この小さなビルから世界中に「極真魂」が発信されていると思うと、いっそ痛快というものである。
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おそらく試割り用と思われる板が天日干しされていた |
極真会館の建物から北へ1分ほど歩くと豊島区立勤労福祉会館の7階に郷土資料館がある。
郷土資料館としてはコンパクトな施設だが、池袋の終戦直後の闇市のジオラマが往時を見事に再現している。
今をさかのぼる事約60年前。終戦直後のヤミ市。戦争に敗れた国民は疲弊した心身で廃墟の中から懸命に立ち上がろうとしていた。かつての盛り場では闇市が活況を呈し、一店舗の規模はささやかながら人間の生命力を象徴するかのように、盛んな経済活動が営まれ始めていた。
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1948(昭和23)年頃の池袋東口のヤミ市 |
賑わうヤミ市にジープで乗りつける勝利国アメリカの進駐軍兵士。必死に生きる日本女性を捕まえての破廉恥三昧。さらに何が気に食わないのか痩せ細った一庶民を捕まえては殴る蹴るの乱暴狼藉。 まさに鬼畜のごとき所業。
悔しくも敗戦国の国民は遠巻きに見守る事しか出来ない。震える両の拳。全身が無力感に包まれようとする頃、現れ出でたる一人の快男児。パンパン(←講談調)。
その青年の強い事強い事、浅草寺の雷神様の如くし。悪鬼の権化のような10数人の米兵を千切っては投げ契っては投げ、バッタバッタとなぎ倒し、天誅の拳を雨あられ。全員、半殺しにしたの見定めると、疾風の如く去って行く。胸のつかえが下りた民衆からは喝采の嵐。
この勧善懲悪活劇が、一昨日渋谷、昨日は新宿、今日は池袋と繰り広げられ、そのめっぽう喧嘩の強い青年の事はヤミ市では有名な存在になった。まさに
「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている」
という状況があったらしい。
一部には良く知られた話であるが、その快事をしばしば目撃していたのが、若き日の川内康範
。のちに作家となり月光仮面の脚本を書く事になる。そしてその実在した快男児はなんと大山倍達である。
10円玉を親指と人差し指の力で曲げちゃう超人相手では、アメリカさんも旗色が悪かったようである。やんややんや。かんらからから。
おととい来やがれ!!
( この項 つづく)
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