2007


3/23 西池袋 極真会館総本部道場 (豊島区) ヤマザキ報告 ( 脳天釜茹速報・写真)
 
月゛光

 ゴッドハンド、牛殺し、実践空手という単語を並べられても誰のことを言っているのか判らない者は、日本男児ではない。逆に言えばスカンジナビア系ニカラグア人でも、正解を口にすれば我が同胞である。

 西池袋にある極真会館の本部は、実践空手(フル・コンタクト・ルール)を世に広めた、故・大山倍達が空手伝道の総本山としたカラテの聖地である。



 本部道場の建物は1965年の竣工で、現在では近くにホテル・メトロポリタンや東京芸術劇場が建設され、それらの建物と比較してしまうと、いかにも小さく見えてしまうようになった。

ホテル メトロポリタン    東京芸術劇場

 しかし、この小さなビルから世界中に「極真魂」が発信されていると思うと、いっそ痛快というものである。

      
    おそらく試割り用と思われる板が天日干しされていた


 極真会館の建物から北へ1分ほど歩くと豊島区立勤労福祉会館の7階に郷土資料館がある。


 郷土資料館としてはコンパクトな施設だが、池袋の終戦直後の闇市のジオラマが往時を見事に再現している。


 今をさかのぼる事約60年前。終戦直後のヤミ市。戦争に敗れた国民は疲弊した心身で廃墟の中から懸命に立ち上がろうとしていた。かつての盛り場では闇市が活況を呈し、一店舗の規模はささやかながら人間の生命力を象徴するかのように、盛んな経済活動が営まれ始めていた。


  1948(昭和23)年頃の池袋東口のヤミ市

 賑わうヤミ市にジープで乗りつける勝利国アメリカの進駐軍兵士。必死に生きる日本女性を捕まえての破廉恥三昧。さらに何が気に食わないのか痩せ細った一庶民を捕まえては殴る蹴るの乱暴狼藉。 まさに鬼畜のごとき所業。


 悔しくも敗戦国の国民は遠巻きに見守る事しか出来ない。震える両の拳。全身が無力感に包まれようとする頃、現れ出でたる一人の快男児。パンパン(←講談調)

 その青年の強い事強い事、浅草寺の雷神様の如くし。悪鬼の権化のような10数人の米兵を千切っては投げ契っては投げ、バッタバッタとなぎ倒し、天誅の拳を雨あられ。全員、半殺しにしたの見定めると、疾風の如く去って行く。胸のつかえが下りた民衆からは喝采の嵐。



 この勧善懲悪活劇が、一昨日渋谷、昨日は新宿、今日は池袋と繰り広げられ、そのめっぽう喧嘩の強い青年の事はヤミ市では有名な存在になった。まさに
「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている」
という状況があったらしい。

 一部には良く知られた話であるが、その快事をしばしば目撃していたのが、若き日の川内康範 。のちに作家となり月光仮面の脚本を書く事になる。そしてその実在した快男児はなんと
大山倍達である。

 10円玉を親指と人差し指の力で曲げちゃう超人相手では、アメリカさんも旗色が悪かったようである。やんややんや。かんらからから。

 おととい来やがれ!!




 
( この項 つづく)
             
(3月23日のつづき)

4/4

 月光仮面の作者、川内康範といえば、昨今森進一が歌う「おふくろさん」の歌唱禁止通達したことで、テレビのワイドショーなどで話題になっている。自身が作詞した歌詞の前に第三者が作った詞を付加されては作家としては憤慨するのが当然の事であろう。
 数度の警告を無視され、イカリ狂った川内氏は森進一が舞台での氏の作品の歌唱を禁止したという事である。


 森進一 (イメージ)

 しかし、おれが森進一であったなら、歌詞を「お゛ふ゛く゛ろ゛さ゛ん゛」で登録してしまい、
「♪ お゛ふ゛く゛ろ゛さ゛ん゛よ゛お゛ふ゛く゛ろ゛さ゛ん゛〜゛ お゛ふ゛く゛ろ゛さ゛ん゛」
と、いつも通り唄うけどな。自分の詞なのだから、誰はばかることなく唄えるではないか。

 あ、いや、しかし、こんな事を言ったら森に助言する事となり「正義の味方」の敵の味方になってしまうな。


 正義の味方の敵の味方 (メージ)

 なら、おれが森が唄っている曲の歌詞を全て濁点入りで登録してしまおう。これでおれの口座には毎月莫大な版権料が転がり込んでくるはずである。



「襟゛裳゛岬゛」
(ニャホニャホ作詞・吉田拓郎作曲)

北゛の゛街゛て゛は゛も゛う゛ 悲゛し゛み゛を゛暖゛炉゛て゛
燃゛や゛し゛は゛し゛め゛て゛る゛ら゛し゛い゛
理゛由゛(わ゛け゛)の゛わ゛か゛ら゛な゛い゛こ゛と゛て゛ 悩゛ん゛て゛い゛る゛う゛ち゛に゛
老゛い゛ほ゛れ゛て゛し゛ま゛う゛か゛ら゛ 黙゛り゛と゛お゛し゛た゛歳゛月゛(と゛し゛つ゛き゛)を゛
拾゛い゛集゛め゛て゛ 暖゛め゛あ゛お゛う゛
襟゛裳゛の゛春゛は゛ 何゛も゛な゛い゛春゛て゛す゛

君゛は゛二゛杯゛目゛だ゛よ゛ね゛ コ゛ーヒ゛ーカ゛ッフ゛に゛
角゛砂 糖゛ ひ゛と゛つ゛た゛った゛ね゛
捨゛て゛て゛来゛て゛し゛ま゛った゛ わ゛す゛ら゛わ゛し゛さ゛た゛け゛を゛
く゛る゛く゛る゛か゛き゛ま゛わ゛し゛て゛ 通゛り゛す゛き゛た゛夏゛の゛匂゛い゛
想゛い゛出 し゛て゛ 懐 か゛し゛い゛ね゛
襟゛裳゛の゛春゛は゛ 何゛も゛な゛い゛春゛て゛す゛

日゛々 の゛暮゛し゛は゛ い゛や゛て゛も゛や゛って゛く゛る゛け゛と゛
静゛か゛に゛ 笑゛って゛し゛ま゛お゛う゛
い゛し゛け゛る゛こ゛と゛た゛け゛か゛ 生゛き゛る゛こ゛と゛た゛と゛
飼゛い゛馴゛ら゛し゛す゛き゛た゛の゛て゛ 身゛構 え゛な゛か゛ら゛話゛す゛な゛ん゛て゛
あ゛あ゛ お゛く゛ひ゛ょ う゛な゛ん゛た゛よ゛ね゛
襟゛裳゛の゛春゛は゛ 何゛も゛な゛い゛春゛て゛す゛

寒゛い゛友゛た゛ち゛か゛ 訪゛ね゛て゛き゛た゛よ゛
遠゛慮゛は゛い゛ら゛な゛い゛か゛ら゛ 暖゛ま゛って゛ゆ゛き゛な゛よ゛



 ついでにネコが唄う森進一の曲も登録してしまえば、世界中のネコから金が振り込まれるはずである。


「ニェニニョニニャニ」
           (ニャホニャホ作詞・吉田拓郎作曲)


ニニャニョニャニニェニャニョニョ ニャニャニニニョニャンニョニェ

ニョニャニニャニニェニェニュニャニニ

ニャニェニョニャニャニャニャニニョニョニェ ニャニャンニェニニュニュニニ

ニョニニョニェニェニニャニュニャニャ ニャニャニニョニョニニャニョニニュニニョ


ニニョニニャニュニェニェニャニャニャニェニャニョニョ

ニェニニョニョニャニュニャニャニニョニャニニャニュニェニュ


ニニニャニニャニニェニャニョニェ ニョーニーニャッニュニ

ニャニュニャニョーニニョニュニャーニャニェ

ニュニェニェニニェニニャニャ ニャニュニャニャニニャニャニェニョ

ニュニュニュニュニャニニャニャニニェ ニョニョにニュニニャニャニュニョニニョニ

ニョニョニニャニニェ ニャニュニャニニニェ

ニェニニョニョニャニュニャ ニャニニョニャニニャニュニェニュ


ニニニョニュニャニニャ 二ニャニェニョニャーニェニュニュニェニョ

ニニュニャニニャニャニェニニャニョニョ

ニニニェニュニョニョニャ ニニニュニョニョニャニョ

ニャニニャニャニニュニニャニョニェ 二ニャニャニェニャニャニャニャニャニュニャンニェ

ニャニャ ニョニュニョニョニャンニャニョニェ

ニェニニョニョニャニュニャ ニャニニョニャニニャニュニェニュ


ニャニュニニョニョニャニニャ ニャニュニェニェニニャニョ

ニェンニョニャニニャニャニニャニャ ニャニャニャニャーニェニュニニャニョ





 当然イヌも登録しておく。


ワワワンワワワン
       (ニャホニャホ作詞・吉田拓郎作曲)


ワワワン ワワワワン ワワワワン ワワワワン ワワワワン

ワワン ワワワワワワワワン

ワワワン ワワワワワワワワン ワワワワワワワワワン

ワワワワワワワワワワン ワワワンワワワワンワワワワワン

ワワワンワワワワン ワワワワンワワワン

ワワワワンワワワワン ワワワンワワワワワン


(めんどうくさいので以下略)





 どうでもいいことだが、イヌ語がネコ語よりも語彙が少ないのは新発見であった。

 正義の味方も結構疲れることも分かった。もう寝かせてくれ。



この項 おわり









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