8/25  四谷・上野・東池袋・町屋・池上 ヤマザキ報告 ( 猛暑性大脳流出紀行 ・写真)



                                                                         


 8月10日  四谷

フラフラと四谷のお岩稲荷へ出向く。現地に着いてみると、「於岩稲荷田宮神社」のはす向かいに「於岩稲荷陽運寺」があった。

訳分からないまま両方にお参りする。

種類の違う宗教だから、お定まりの本家・元祖などは勃発しないのか。ということは,お岩モスク・お岩教会もアリなのだろうか。

 於岩稲荷田宮神社 於岩稲荷陽運寺


於岩稲荷田宮神社で頂いた栞によると
お岩さんは江戸初期の人である。
お岩さんは貧乏御家人・田宮伊右衛門の妻であった。夫婦仲は良かった。
お岩さんは家計を支える為、奉公に出た。
お岩さんは日頃から自宅庭にある屋敷神を信仰していた。
お岩さんの働きのおかげもあって傾いていた田宮家は再興した。
屋敷神信仰のおかげで田宮家復活との話が評判になり、一般民衆が「お岩稲荷」として信仰するようになった
これで終われば、「お岩さん」はつつましい美談で終わるところであった。しかし約200年後の江戸後期に鶴屋南北が、この話に脚色を加え「東海道四谷怪談」を発表した。
この歌舞伎の演目は大ヒットしたが、怪談であるので舞台が暗く、セットが複雑になり、怪我人が多く出た。
その様な理由で、舞台関係者が上演前に参拝する事になった。

とのことであった。

  田宮家の家紋はインヤン (!)

それとどうでも良い事だが「岩」というのも凄いネーミングであるね。おそらく親御さんが岩の様に強い子に育ってくれ、との気持ちで付けた名前であるとは思うが。

たとえば現在の我が国で女の子に、コンクリートと名付ける親がいるであろうか。その子の将来が苦難に満ちたものになることは容易に想像できよう。

この江戸時代からのセンスは20世紀初頭くらいまで続いていて、ビートたけしの祖母の名は「北野うし」である。

 現在までのところお岩さんと力道山の関係は公式的には確認されていない。歴史の流れが何時の日かこの闇に光を当てる事を待ちたい。


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 8月11日 上野動物園

上野動物園では8/9〜15の間「真夏の夜の動物園」と銘打って開園時間を時間延長して、午後8時まで開園していた。いろいろなイベントも催しものがあり、おれは「大人のためのカバツアー」というのに参加しようと出かけた。

カバ舎前の受付所に到着すると、すでにディズニーランド並の長蛇の列で、おれも列の最後部についたが、何十分も立っているのがバカバカしくなり、「もう少し時間がたってから戻って来よう」と思い、その場を離れた。30分ほど小獣館というリスなどを飼育展示してある建物内を見学し戻ってみると、先ほどの長蛇の列は霧散していて、受付も終わっていた。

茫然としつつ自分のマヌケさに悪態をつく。さすが「人生一生スランプ」である。もはや脳はほとんど死んでいる。


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8月12日 東池袋 サンシャイン60

サンシャインの最上階で開催されている「赤塚不二夫サンシェーイン ギャラリー」に出向く。目的は寝たきりになってしまっている赤塚先生の容態について、何か情報が得られないかと思ったからである。

結果は、収穫無し。「赤塚不二夫年表」のような掲示もあったのだが、現在の箇所は入院されている事さえ記述が無かった。

人生の黄昏時というのは哀しさが漂うものであろうが、赤塚先生の場合は、七月に看病をされていた眞智子夫人が、くも膜下出血で亡くなられてしまっているのである。死ぬも地獄、生き返るも地獄という、すごくシリアスな状況なのだ。

子供向けのイベントなので、あえて赤塚不二夫当人の病気の事は隠しておいたのだろう。まあ、無料(サンシャイン60展望台の入場料は必要)なので、あきらめる。


展望室のロビーのような所で、夏休みの観光客相手と思われるイベントが行なわれていた。正確なイベント名は忘れたが、「そっくりショー」のようなものであった。ポスターがあり、どうやら出演者は一座を組んで各地を回っているようであった。

そのポスターには20名ほどの出演者の写真が写っていたが、メインの人物が「ダンディ坂野のそっくりさん」であった。大丈夫なのかこの企画。


この日の写真が無いのは、せっかく撮った画像を不注意で消去してしまったからである。
もはや脳はほとんど死んでいる。


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8月13日  町屋

1ヶ月も前から予定に入れていた贔屓の落語家、三遊亭遊史郎師匠の独演会ヘ行く。
自分にしては珍しく開演30分前に会場である町屋ムーブホールに到着。しかし会場ロビーは無人であった。



いくら開演30分前でも、一人も客が待っていないはずがない。その瞬間、会場が町屋である事で、ムーブホールだと思い込んでいた事に気付いた。あせって建物を飛び出し、近辺で落語会の会場がありそうなビルを片端から捜して回る。

30分ほど走りまわったが発見できず、都電の線路沿いにあった交番に飛び込み調べてもらう。お巡りさんは親切であったが、落語会の会場はついに判明しなかった。

思い直してもう一度ムーブホールへ。もしかしたら階数を間違えたのかと思ったのだ。やはり間違いは無い。事務室へ行き
「今日は落語会の予定は入っていませんか」と問うと
「遊史郎さんですか?」とのお答
「そそそそそうです」とあせって言うと
「それでしたら昨日です」とのお言葉。

もはや脳はほとんど死んでいる。


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8月16日 池上 本門寺

お盆に行けなかったので、墓参りに行く。いつものように家を出る前にグズグズしていたら池上に到着したのは午後5時半を回っていた。日が暮れてくると薄気味悪いので早足で汗をかきながら山門の長い階段を昇る。

階段を昇りきる前に写真を撮った。


意外に時間を食う。シャッターを切ろうとすると、5〜6人の老人が階段を駆け上がり下りしていて邪魔になるのだ。この暑さの中、正気の沙汰とは思えない。体力の衰えを補うためのトレーニングなのだろうが、かえって体に悪いのではなかろうか。そんな体力があるのなら、ビラ配りのバイトでもして慈善団体に寄付でもしたらいいのに。

墓前に到着した頃には、すでに陽も傾き始めていた。カラスやセミが狂った様に鳴きつづける。お供え物も掃除のためのタワシも持っていかなかったので、ひたすら桶の水を柄杓ですくって墓石に掛けるのみである。

手を合わすと、お寺の鐘がバオ〜〜〜〜〜〜ンと鳴り響き、物凄い雰囲気に。すでに薄暗くなりかけている墓地からそそくさと逃げ出す。ご先祖様のお参りというのに、この小心さには自分でも呆れかえる。


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8月18日 上野 科学博物館

国立科学博物館に「ふしぎ大陸南極展2006」を見学に行く。
金曜日は特別展でも夜8時まで開館しているので、6時少し前に入館。

南極の氷の下には珊瑚の化石があるという話を聞いた記憶がある(ような無いような)。つまり「ポールシフト」と呼ばれる「極移動」が起こり、南洋だった地域が地球がクルンと回転して、現在の南極となったといういかにもアヤシゲな説だ。

しかし極移動でなくても、長い年月の間の大陸移動で珊瑚の化石が現在の南極にある可能性もある。つまり、珊瑚は極移動か、大陸移動なのかを知りたかったのだ。

特別展開嬢に入る手前に案内嬢ロボットが設置されていて、動画も含めてさんざん撮影する。(↓参照のこと)

                                

ノンビリしすぎたおかげで「ふしぎ大陸南極展2006」の見学途中で閉館時間が来てしまった。係員に追い出されるように会場を出る直前に、出口のそばに南極の地質や南極大陸の移動を示した展示があったが、7秒くらいしか見られなかった。


もはや海馬までカビている。




      


この項おわり


            






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