The week before last in Tokyo 先々週の東京
4/26 JR上野駅
JR上野駅を跨ぐように「東西連絡橋」が架かっている。たしか1年くらい前に完成したこの巨大歩道橋ができたおかげで、おれの住む東側(下谷側)から西側(公園側)へ、迅速・快適に行けるようになった。めでたい。 この橋の上へ行ってみるとを分かるが、「橋」というよりも、ほとんど広場と言っていいほどの規模である[写真1]。 「入谷口改札」もこの陸橋上にある。改札口を出ると右側、つまり外からは入谷口に向かって左側に本当にジャイアントな「ジャイアント・パンダ」のぬいぐるみ(?)が鎮座している[写真2]。何も揶揄する気は無い。これだけデカければ待ち合わせの目標物としては最適であろう。願わくば、新潟県三条市のJR三条駅前にも、「本当にジャイアントなジャイアント馬場像」を作ってもらいたい。 その像は当然、馬場さんの身長209cmにちなんで、高さ209mの壮大なものにしてほしい。毎時0分には、馬場さんの気合声(?)の「アッポー(正しくは『ポウ』)が発せられる仕組みにしていただけると、この上なく嬉しい。 すなわち毎日正午には、200mの高さから「アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)、アッポー!(正しくは『ポウ!』)」という馬場さんの独特の声が、衆生を救わんがために、市内に響き渡るのだ。 あ、いかん、長々と書いてしまったが、本日はこの事を書きたかったのではなかった。
で、おれは、この東西連絡路を利用して、週に三日は上野公園を散歩している。2週間ほど前に気づいたのだが、いつのまにか公園側のたもとに石碑が建っていた[写真3]。彫られていたのは「パンダ橋」という文字であった。 「ぱんだばしい〜?」今は亡きフリッツ・フォン・エリックに、前額部をワシづかみにされたような心持ちになったが、ま、これは前記のジャイアント・パンダのぬいぐるみの事もあるので、しぶしぶと受け入れた。しかし、我慢ならんのは、その石碑の台座の側面[写真4]に記された
いったい誰が「花崗岩マグマが上昇中に砂岩や頁岩などをとりこんでできた」岩を「パンダ石」と呼んでおるのだ? キーボードは「パンダボード」か?葬式の幕は「パンダ幕」か?モノクロ映画は「パンダ映画」なのか?なのか?なのか?そうなのか? だいいち、写真を見てもらえば分かるとおり、パンダの模様の「黒色」とはかけ離れた色ではないか。 ――― 聞いた話だがね…(バグワン調) 情報を最も長い時間、記録保存する方法は、岩に刻みつける事だそうだ。紙や羊皮紙にかかれたものは、いずれ酸化などが進み、崩れ去る宿命にあるそうだし、CDやテープはプラスチックが劣化し、思いのほか早く使い物にならなくなるそうな。 ということは30世紀の歴史家は、この碑文を読んで「21世紀初頭には花崗岩マグマが上昇中に砂岩や頁岩などをとりこんでできた岩は『パンダ石』とよばれていた」と誤解し、それが定説となってしまうのは、火を見るより明らかではないか。 まー、どっちみち時が一万年も過ぎれば、人類は滅亡しているだろうから、目クジラ立てる問題ではないのかもしれない。しかし、その頃にカニ座星人の宇宙考古学者が、知ったかぶりをして「かつて太陽系第3惑星では花崗岩マグマが上昇中に砂岩や頁岩などをとりこんでできた岩は『パンダ石』とよんでいた」などとシリウスにおける学会で発表してしまう可能性もある。・・・ないか。 とにかく、花崗岩マグマが上昇中に砂岩や頁岩などをとりこんでできた岩を、少なくとも現代日本の一般民衆は「パンダ石」と呼称していない事を、ここに明言しておく。 来月いっぱい「今週の東京」のページで「『パンダ石』とはよばれていない」キャンペーンをする。まさにゴマメノハギシリ状態ではあるが、飽きるまでやる。 |
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5/5 東上野 カブキくんのいる風景・路傍の花
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5/16 谷中 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや [谷中・よみせ通り 立善寺]
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5/28 蒲田 はっ(我に返ったときの擬態語)。 す、すまんすまん。気づいたら2週間も更新をしていなかった。 すまん、とは言ったが、本ホームページではこれからも、こういう事は何回も繰り返されると思う。なにしろ始めの日(2001年12月21日)に 「生半可な気持ちでダラダラやる」 と宣言した気持ちは微塵も揺らいでいない ――リキんで言うことじゃないけど―― からな。 2週間どころか8ヵ月くらい更新しない可能性もあるが、けっしてやめるわけではないので、たまには開いてみてくれよな。その間、退屈な人は「ひとりローリング・クレイドル・ホールド」で7億8千万回転ぐらいしてみれば、立派なバターになれるかもしれん。 5/8・19に山本新奇劇・劇団「町奴」の公演が、蒲田の「エビス亭」という所で行なわれたので、見物に行った。 山本雄生と黒崎愛ちゃんのコンビは、こういう事をやらせれば達者なものである。次回作が待たれる。 会場になった「エビス亭」というアジア服飾品店は、以前から芸術家の個展の場になっていたりしたのだが、これからは、その傾向を深めていくらしい。ぜひ、どんどんタリラリ状態になってくれ。嬉しいかぎりである。 公演当日、エビス亭で個展を開催した事もある「TONBI」のデザイナー、伊藤・ピヨピヨ・梨絵さん、画家の平澤睦美さんも、スタッフとして参加していたので、作品を紹介しておく(ちなみに当日の山本のボディ・ペインティングも平澤作品である)。
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今週の東京 WEEKLY TOKYO
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