12/3 原宿 東郷神社 |
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ヤマザキ報告
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( 地球の中心で愛を叫ぼうとしたら、マグマでヤケドした男の悲鳴 ・写真) |
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●東郷神社
JR原宿駅・竹下口より
徒歩約5分
東京メトロ千代田線 明治神宮駅より
徒歩5分 |
このホームページを奇特にも愛読してくれている諸君には意外と思われるかもしれないが、おれは原宿・竹下通りは悪くないと思っている。やたら林立した高層ビルの上層階で「創作フレンチ」料理などというもので、数万円をふんだくるような「いま注目のスポット」的なところが嫌いなだけだ。(『伝統的料理』をうんざりするほど食す以前に「創作料理」を食わせるのは、本末転倒であろう)。
若者相手に比較的安価な食物・服飾品・装飾品を売るような店が密集した地域は、外国では、しばしばバックパッカーがたむろする安宿街近くに見うけられる。
竹下通りは、ネパールのカトマンズの「タメル地区」や、タイのバンコックの「カオサン・ロード」や、インドのアジメール近郊の「プシュカルの参道」の日本版と言えると思う(誰にも通じないか?)。
まー、でも、あの混雑ぶりは、わざわざ出かけていく気にはならないが。
その竹下通りの喧騒・雑踏から、ほんの数10メートル離れると、人影もまばらな、静寂に包まれた東郷神社がある。
●至近距離対比シリーズ
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← 20m → |
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言うまでも無いが、東郷神社は東郷平八郎を祀った神社である。御神体が実在した人物である神社は、乃木将軍の乃木神社、徳川家康の日光・東照宮、明治天皇の明治神宮などが挙げられる。ヤオヨロズの神と言うくらいだから、神社にもいろいろなスタイルがあるのだろう。
そういうことなら、唯物論と唯心論を融合させたマルクス神社ってのはどうだ。祝詞は資本論、お賽銭はカンパ、お守りはレーニン・バッジ。社会主義勢総崩れの中、起死回生の一発になるかもしれんぞ。ぎゃはは。
東郷神社で特筆すべき事は「キティちゃん」のお守りを販売している事である。さすが原宿。
つい先日のTVインタビューで、日産のカルロス・ゴーン社長が、インタビュアーの
「最近の日本における凶悪事件の増加についてどう思うか」
との質問に
「日本は、まだまだ安全だと思う」
と答えていた。まっことその通りである。西側欧州諸国であれば、竹下通りのような繁華街の裏に東郷神社のような場所があったなら、必ずやそこはヤクの売人とヤク中の巣窟になっているに違いない。それを考えると、神社の入口の階段に座りこみ、クレープ(!)を貪り食っている若者達に目クジラを立てる気はしないのである。
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ローニン・アサクラ / キティちゃん状態
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ローニン・アサクラ / アル中キティちゃん状態 |
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12/20 銀座 MIKIMOTO真珠店店頭 |
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ヤマザキ報告 |
(ハウリング脳波放射 ・写真) |
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●MIKIMOTO真珠店前
クリスマスツリー
東京メトロ 銀座駅 出口A9より 徒歩23秒 |
根っ子の問題
毎年クリスマスが近づいて来ると、テレビニュースでニューヨークのロックフェラーセンター前のクリスマスツリーの電飾点灯式が報道される。
あのクリスマス・ツリーに仕立て上げられた樹木は、全米から選びぬかれた銘木であるらしい。でも、あれ、根元から切り倒して、ニューヨークまで運んできて、ポンと立ててるって事でしょ。おれが分らんのは、どうして根っ子ごと持ってきて植えないのか?という事である。
西部開拓時代なら根まで掘り返すのは大変だったろうけど、現在のアメリカだったら重機を使えば簡単な事だろ。絶対に枯れてしまう様にしてしまった巨木に、やたらデコレーションをほどこして喜ぶ、という感性が理解できない。それとも切られた木の根っ子は、切断面を防腐処理して、どこからか新芽が出て、また巨木になるまで数百年育てるという、アメリカらしい壮大な計画なのであろうか。もしブルドーザーかなんかで撤去してしまうのだったら、木には気の毒な話である。
根のついたまま運んできて、クリスマスが終わったら、毎年一本づつセントラルパークに植樹していっても良いではないか。
日本で売られているクリスマスツリーは、たいていの場合造花ならぬ造木であるが、アメリカでは各家庭でも、本物の木を根元から切ってきて、鉢に突き刺しているらしい。川原のススキを数本刈り取ってきて花瓶に活けるのと同じ感覚なのか。わかんねー。
早い話が、通りすがりに美女がいたとしても、やにわに首を切断して家に持ちかえり、飾り立ててミイラ化する様を見て楽しもうという感性はこちらにはないのよ。
わが台東区で、夏季に不忍池畔で催される納涼大会に出店している植木屋さんは、かなり大きい木でも根にムシロだかコモだかを巻いて、水を掛けて木が死なない様にして売っている。当たり前のことであるが。
そんでもって銀座。ここもご多分に漏れずクリスマス(セール)一色であるが、ムード盛り上げに一役買っている街路のツリーでも、ちゃんと根付きで地面に植わっている。MIKIMOTO前に電飾デコレーションされている一際大きなツリー(冒頭の写真参照)も同様。これがフツーの日本人の感覚であろう(この巨大ツリーはクリスマスが終わったら、クジ引きで何処かの公共施設に寄付されるそうである。エライ)。
まあ、アメリカの人柱・人身御供的クリスマス・ツリーも、スペインの闘牛とか、わが日本の魚の活き造りとか、他国民には理解しがたい文化のひとつなんだろうけども、どうも彼国の人々とは精神的風土、つまり心の根っ子で、実はかなり差異があるようである。
でも、何だかスゴーク狂暴な政治家や軍隊がうなり声を発しながら、いつでもスタンバッているので、ここは擬似クリスチャンの皮を被って、エヘヘヘヘなどとお世辞笑いをしているほうが、とりあえず得策であろうとは思われる。
明日の特別付録×2につづく
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12/21 銀座 昨日のつづき
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われわれのメンバーの中で、一番の博識はローニン・アサクラである。何しろアヤシゲな6ヵ国語を操り、インターネットを駆使して、あらゆるページを検索できるのだから、これは敵わない。
アメリカのクリスマスツリーの「その後」について検索してくれと頼んだら、たちどころに解答が帰ってきた。以下緑文字がアサクラ報告である(リンクは解除してありますので、興味のある方はコピー→ペーストで開けて見て下さい)。
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アサクラ報告
ロックフェラーのクリスマスツリーの処分方法はわからなかった。
一般的には次のようなことがいえる。
http://forums.speedguide.net/archive/index.php/t-162046.html
アメリカでは毎年2340万本の木がクリスマスツリーになる。
ほとんどが商業的に人口植林されていて、6年から10年物が使われる。
クリスマスツリー栽培用の土地は500,000エーカーで、1エーカーあたり
18人分の酸素を供給している。
つまり、その土地は「森林」の役割を果たしているので、荒地や牧場よりも
環境に良い影響を与えている。
虫害を防ぐために殺虫剤を撒くが、木を食う虫の種類は限られているので、穀物や野菜のように万能強力農薬を大量に散布する必要はない。
約100年前にアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領(フランクリン・ルーズベルトとは別人)が、クリスマスツリー禁止令を出した。理由は森林の保護だったがほとんど無視された。現在は人口植林されるので、「森林破壊」の非難は当たらない。
クリスマスツリーの死
http://www.mainchance.org/upward/read/web/toby_xmas.html
クリスマスの翌日にはこのように粗大ゴミとして全米のツリーが道路わきに捨てられる。毎年30%程度のクリスマスツリー用の木が売れ残り、そのまま処分される。
現在は焼却処分はしていないので、粉砕してパルプ原料になる。
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との事である。
もひとつおまけ。
MIKIMOTO店頭のツリーの写真を撮り、銀座通りをフラフラしていると、某有名ブランド・ショップのビルの横に、正体不明の白い雲のような物体が浮かんでいた。幽体とかエンゼルヘアーとかエクトプラズムの様に見えた。物欲まみれの女の怨霊かもしれない。
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12/25 それぞれ・あちこちのクリスマス。 |
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アサクラ・キタムラ・タカハシ・
ナガヤマ・ヤマザキ報告 (アイウエオ順) |
「ギ装置Rの右脳と心中」のギ装置Rさんによると、クリスマスは「日本3大奇祭のひとつ(11月11日の左脳日記より)」だそうである。
これは卓見である。目から鱗が落ちる、とはこの事だ。ああそういうことだったのか。
長年クリスマスの馬鹿騒ぎと商売人に踊らされる人々をニガニガしく思ってきた。でも、使い古された「われわれは仏教徒(もしくは神道)なのに……」を言うと、ユーモアのセンスを疑われると思い、沈黙をせざるを得なかった。
うひゃひゃひゃひゃ、あー、これで楽になった。それに「Hank's
Holy Mountain」のハンクさんも「クリトリスでオルガスムを得る女性の記念日クリトリス・イクである(12月21日のSoul Kitchenより)」と言っているし。 (お二方、勝手な抜粋・引用お許しください)
そういうわけで、メンバーに呼びかけ、それぞれのクリスマス写真を送ってもらった。 |
アサクラ報告 |
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25日昼間の風景。
昔からクリスマスケーキは25日になると安売りされていたが、最近はチキンもそうらしい。
写真の「ファミリーパック」が1134円→1054円。
クリスマスにチキンを食べるのは日本とアメリカで、ヨーロッパではそういう習慣はない。
クリスマスとチキンに何の関係もないからである。 |
キタムラ報告 |
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僕の故郷にいる憧れでもある親愛なる女友だちに贈る…その割にはお金をかけていないChristmas
Present…フリースブランケット |
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今年も仕事 |
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私独りのクリスマス・ディナー |
タカハシ報告 |
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本日はクリスマス。新宿職安通り「ドン・キホーテ」裏の「西大久保公園」では、イルミネーションやクリスマス・ツリーなどありませんが、ホームレスのおじさん達による酒盛りが盛大に行われておりました。多分、明日も行われるのでしょうね。そして、明後日も… |
ナガヤマ報告 |
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サンタの悲劇。
サンタ |
「Xmasも終りなんで帰りたいんですけど。」 |
店長 |
「ダメだ!オマエがいるといい客寄せになるんだ!えーい、こうしてやる!」 |
サンタ |
「し、縛ったらアキマへん!帰れマヘンがな!」 |
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の図。 |
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大久保の天使。
JR新大久保駅前のガード下には、絵本作家の高岡洋介氏が描いた「大久保の天使」の壁画があります。聖なる夜に天使も微笑んでおります。 |
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ラッセルは自ら地雷源に足を踏み入れる様なマネをしてしまいました。汐留はカップルだらけ。そんなカップルに囲まれながら「劇団四季展」を見てきました。おなじみのライオンキングやキャッツなどの舞台衣裳が展示されております。 |
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いつもの様に肉体労働に励んでおりますと、背後から「メリークリスマス!」の声が。振り返ると赤いコートを着た見ず知らずの中年女性が立っており、お菓子をくれました。Xmasは人の心を優しくしてくれるのですね。
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ヤマザキ報告 |
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山谷・玉姫公園近くのドヤ街にて。
歩いているのは、老人か、老人の身体障害者が圧倒的に多い。
写真右は閑散とした山谷で、珍しく盛況だった立ち飲み屋。 |
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公園で炊き出しなどを行っている「日本キリスト教団・山谷伝道所」 |
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ドヤ「白百合荘」前のクリスマス・ツリー。
山谷で唯一のクリスマス的風景。
このツリーもちゃんと根っ子がついていた(←しつこい)。 |
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12/30 代々木 代々木第一体育館 |
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ヤマザキ報告 |
( ドグサレ箴言 ・写真) |
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第1回K−1グランプリが催された
代々木第一体育館 |
K−1にプライドは無いのか
「あと出しジャンケン野郎」とか「結果論の鬼」とか言われたくないので、本当は書きたくないけど書く。
明日の格闘技イベントの「K−1 Dynamite!!」でのボビーvsアビディの試合、あれ、やらせちゃダメだろー。ボビー・オロゴンにもシリル・アビディにも、「K−1」というイベント自体にも危険がありすぎる。
シロートを、どうおだて上げたのか、金で釣ったのか知らないが、「稀に見る身体能力」だけでヘビー級キックボクサーと対戦させ「残酷ショー」を笑いながら見物させようとしているのだ。
エキジビション・マッチならまだ話はわかる。ボビーにはヘッドギアを着用させ、相手のプロ選手にはパンチ禁止、蹴りのみ、とか。あるいは相手が「ワーク」とか「ジョブ」でやる裏契約が出来てるとか。それが本当のマジ試合をさせようとしているのなら、正気を失っていると言わざるを得ない。
まだボビーの相手がマイク・ベルナルドと発表されていた頃(その後シリル・アビディに変更)、記者会見で谷川プロデューサーが「ベルナルドのパンチが当たったら死ぬでしょうね」とヘラヘラ笑いながら言っていた。視聴率競争で頭が狂ったとしか思えん。
そして思いの他、世間からもこの試合に対しての非難を聞かないが、思うに、これには黒人に対する、ある種の「偏見」あるいは「思いこみ」があるのではないか。つまり「黒人は強いからどんなパンチ・キックを受けても、気絶はするかもしれないけど、死んじゃったり、一生後遺症が残るような怪我はしない」というような。
初めてK−1に出た頃のボブサップだって素人同然に見えたけど、前身はアメリカン・フットボールの選手であり、プロレスラーであった。つまり攻撃力だけではなく、防御的体力(とくに首)には充分なトレーニングがなされていたはずだ。
格闘技の試合に、素人(アマチュア選手ですらない)の外国人お笑い系TVタレントを「シリアス・ファイト」でぶつけること自体、K−1自体に対する冒涜ではないか。しかも相手のマイク・ベルナルドは、ボクシングのヘビー級のチャンピオンになったこともある選手である。相手がアビディに替わったとしても本質はまったく変わらない。
ちなみにJBC(日本ボクシング・コミッション)のプロテストの年齢制限は30歳未満である (ボビー・オロゴンは1973年生まれの31歳)。そして晴れてテストに合格しても、4回戦ボーイから一段ずつ階段を昇っていくのだ。いきなり世界チャンピオンクラスと戦う事など有り得ない。
再度言う。ボビー・オロゴンにもシリル・アビディにも、「K−1」というイベント自体にも危険がありすぎる。「『視聴率=金』さえ取れればアフリカ系外国人タレントの人生など知った事じゃない」というのが本音のところなのだろうが、これはムエタイのルールから肘打ちを禁止にして、立ち技打撃系競技で覇を競おうといったK−1本来の競技目的からあまりにも逸脱している。
おれがあ−たらこーたら言ったところで、どうせ「試合」は行なわれるのだが、今はもうアビディがジェラルド・ゴルドーとかハンス・ナイマンのような「全て訳知りの仕事師」の役をこなしてくれる事を祈るばかりだ。
どーもK−1の実相は、主催者の半端なプロレス理解の所産の興行だったというような気がする。
どうせ私を騙すなら 騙しつづけてほしかった
(『女心の唄 作詩:山北由希夫 作曲:吉田矢健治 唄:バーブ佐竹』)
読む気なかったけど、佐竹雅昭の暴露本「まっすぐに蹴る」を買って寝正月に備えることにしよう。
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