羽田からモノレールに乗ると、大井競馬場駅に到着する直前の車窓から、運河の対岸の島のようなところに小さな湾が見える。 その入り江の奥を注意深く眺めてみると、正体不明の洋風建築が確認できる。波打ち際沿いにはもう一つ、いやに間口の広い小屋も建っている。
もしかすると大富豪か江戸川乱歩の小説に出てくるような怪人の屋敷で、小屋にはサンダーバード5号かペネロープ号のような水陸両用車が格納されていて、夜な夜な政財界の大物や有名女優などを乗せて、東京湾をクルージング・パーティーなどをして酒池肉林のとんでもない乱痴気騒ぎをしているのではないか、ううぬ、許せん!というわけで真相を確かめるべく取材に行って来た。 昔の「プロ空手」のタイガー藤木(誰も知らんか?)のようなグルルルという唸り声を発しながら、蝉時雨の中、物凄い形相でそのコテージ風建造物まで行ってみると、これはあっけなくその正体が判明した。 その建物は野鳥観察小屋であった。 この辺りは大井埠頭中央海浜公園の「なぎさの森」といって、野鳥を保護・観察している地区なのであった。くだんの西洋風建物は公園管理事務所件野鳥観察所であった(写真上段)。誰でも無料で備えられている望遠鏡で、野鳥の姿を望む事ができる。100mほど離れたところにある間口の広い小屋(写真下段)もバードウオッチング専用の施設であった(こちらのほうが望遠鏡の設置台数多し。ただし利用可能なのは、日・祝日の10時〜14時30分)。 大井埠頭には数回取材に出向いた。日曜日には家族連れやカップルが、平和な休日を満喫していた。 たとえ人工の島でも、たとえ人造の森でも浜でも、そこに本物の虫や動物や植物がやって来て、命をきらめかせられるのならそれで良い。計画的に造成された森で意外な恋の物語があったり、虚構の渚で真実の愛が育まれるのならそれもまた善哉ではないか。 この項つづく |
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8/9 (3日のつづき) 最期の挨拶
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ニャンコ先生は何処へ行く 本編の「谷中甘味慕情」で紹介した日暮里の食品玩具問屋街が、例によって「再開発」で立ち退きになってしまったと聞きつけて、半泣きになって駆けつけた。
行って見たところすでに4割方の店が閉店していたが、どうにか半数以上の店は営業していた。ただし、9月半ばまでには、完全に撤退するらしい。うーん、またひとつ、おれのお気に入りの地が消失する…… 救いはこの場所に新しいビルが出来たあかつきには、その建物内に食品玩具問屋のテナントが多く入るとのことである。 でもね、でもね、食品玩具問屋街に入ったすぐのところにある「あさひや」の、看板ネコはどうなるのだ。この人なつこいネコは、ここを訪れる客たちに可愛がられ、いつも店の前で、フニェー、とお昼寝をしている「癒しネコ」なのだ。 証拠に 2001年の4月に撮影した写真を掲載する。
ネコだけの事を言いたいのではない。この風情というか、気配というか、雰囲気とかいうものが、もうすぐなくなる。明治村のように木造建築を一つ一つ丁寧に解体して、再構築――エアコン付きのビル内に―― したとしても(するわきゃねーけど)、そこにニャンコ先生が安心して眠れる場所があるとは思えない。 新しいものが全て悪いわけではない、古いものが無条件に素晴らしいわけでもない。どうしようもない時の流れなのだろうが、20世紀の文化がまた一つ消える。寂寥感がこみ上げてくるのも、これまたどうしようもないのココロ。 この風景を見る事が出来るのも、あと一ヶ月を切っている。 |
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わはははは。今回は郷土自慢。 浅学非才とはおれのためにあるような言葉で、つい最近まで、かの文豪・池波正太郎先生が、おれと同じ台東区の西町小学校出身と知らなかった。たしか浅草と上野の間で育ち、ここが私の故郷である、といった文章があったと思う (近日中に確かな事をここに掲載しなおします)。
もともと文人を始め、有名人には事欠かない土地(台東区)であるが、こと喜劇人、芸人関係においては凄まじいばかりの輩出ぶりである。わはははは。人数が多すぎて書ききれないから、超有名人だけ記しておく。わはははははは。まず黒門町の師匠こと、桂文楽。スーパースター林家三平。コント55号・萩本欽一、車寅次郎こと渥美清、皆様、おれんちから徒歩10分以内のところに住んでいた。まいったか、わははははははははは。 西町小学校から徒歩5分もかからないところに、下谷神社がある(欽ちゃんの家はこの神社の前にあった)。去年、久々に散歩の途中で立ち寄ったら、知らないうちに境内に石碑が建っていた。刻まれた文字を読んでみると 「寄席発祥の地」 と記されていた。ここで生まれ育ったおれでさえ、遊び場だった下谷神社が、伝統話芸の聖地だったとはツユ知らなかった。わははははははは。こ、これでは、わはは、日本の喜劇関係、落語関係のオセロゲームの四隅を確保してしまったのと同じではないか。わは、わは、わはははははははは。 池波正太郎先生が、おれと同じ小学校卒だった事を知ったエッセイ集が「小説の散歩みち(朝日文芸文庫)」という本なのだが、そのなかの「桂文楽のおもい出」の項に 「少年のころ、私が住んでいたのは浅草の永住町であった。この町名は、いま〔元浅草〕という 吐き気をもよおすような町名に木っ端役人ども が変えてしまった」 という記述あり。ぎゃはははは、ぐぎゃはははははははは。 「場の力」がおれにも作用していると思わざるを得ない。わはははははははははははははは。
このような土地柄で育ったおれがイチオシしている三遊亭遊史郎さんの落語会のお知らせ。 遊史郎のひとりG1クライマックスである。咄のアナコンダ・バイスで悶絶させられなさい。 |
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8/31 (昨日のつづき)
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今週の東京 WEEKLY TOKYO
ハラキリ・ブラザースのトーキョー サイトシーイング ガイド
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