数ヶ月前、テレビをつけたまま、いつものようにボーっとしていると「経済トピックス」のような番組で、駅前のツイン・タワーが完成すると、秋葉原が日本の中心になる、というようなことを報告していた (ような気がする。ウロおぼえの聞きがかじりの受け売りだから確信はない)。 それによるとこれからの日本は、ハードを売る国からソフトを生産する国へと転換して生き残っていくそうである(ウロおぼえの聞きがかじりの受け売り)。 つまりパソコンなどは中国とかでもっと安く出来ちゃうから、マンガやゲームなどのソフト産業で、外貨を稼ぐということらしい。駅前の高層ビルはその総本山になるという事であった(ウロおぼえの聞きがかじりの受け売り)。 たしかに中国その他の近隣諸国で「となりのトトロ」や、「攻殻機動隊」レベルのアニメーションが近日中に制作できるとは考えにくい。 ということは、日本の将来は「アキバ系オタク」とさんざん揶揄されてきた人々の双肩にかかっている、ということではないか。 これからは色白小太りTシャツ袖まくり銀縁眼鏡デイ・パック青年を、ゆめゆめないがしろにする事は出来なくなる。 すでにJR秋葉原駅に隣接する、アキハバラデパートにもその兆しが見えていた。
「キャラクター・グッズ」と書かないで、やにわに「ガンダム」である。 最近はやりの言い方でいうと、すでに「『ガンダム』というジャンル」なのだ。 これは凄い事である。 たとえば、「酒類食料品」と表記されてるとなりに、いきなり 新井薫子 と書いてあったら、たいていの人は仰天するはずである。いや、別に新井薫子でなくても 逗子とんぼ でも マッハ隼人 でも THE虎舞竜 でも何でもいいのだが、とにかく固有名詞がイコール、ジャンルになってしまっているのだ。 秋葉原中央通西側には増殖したパソコン部品のジャンク街がえらい賑わいを見せていた。 黒・白・黄人種入り乱れてのお祭り状態。各店、店内放送は、まず中国語、英語。そして日本語。これが最先端≠フ秋葉原の姿である。つまりこれから日本はこうなるのであろう。 (この項つづく) |
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4/30 秋葉原 電気街 2 直径6pのカプセル内の未来 前述の「ソフトが日本を救う」を象徴するフィギュア専門店は、秋葉原の各所にある。 最も手軽にフィギュアを入手できるのは、すでに日本全国に普及しているであろう、ガチャポン(ガチャガチャ)とよばれる手動式自動(?)販売機での購入である。価格も100円〜300円くらいで比較的安価である。まあ、購買層が子供なのだから、当然なのだが。 しかしガチャポンでの購買の欠点は、好みのフィギュアのシリーズの販売機が、必ずしも手近かにあるとは限らない事である。 さてさてそこはさすが、秋葉原である。ここにはその名も「ガチャポン会館」というガチャポンのメッカがある。300台前後の販売機がビルのワンフロアーにずらりと並べられて、 おれも試しに「タイガーマスク」の機械に200円を入れ、回してみた。 嬉しいことにジャイアント馬場さんのフィギュアが出てきた。 知らない人には「あまり似てない」と思われるかもしれないが、これは「アニメ版・タイガーマスク」での「ちょっとハンサム顔になっているジャイアント馬場」なのだ。まったく良く出来たものである。 いい歳ぶっこいてガチャポン・フィギュアにハマる人の気持ちがわかった。これは凄い。これは素晴らしい。これは美しい。これは愛だ。これはメッセージだ。 ……あ。馬場さんが出てきたので、つい興奮してしまったが、真実、感動してしまった。 しかし、このような物で日本の将来が安泰なのなら、兵器輸出などでボロ儲けするよりも、遥かによろしいんじゃないでしょうかと、はなはだ安易におもってしまう。 ただ、ちょっと不安なのは、このような高度なレベルのフィギュアやアニメやゲームを作る有能な若者が、確実に我が国をおおっている「60年近く戦争をしていないストレス」を利用して、一儲けを企んでいる奸物に、好きなように動かされなければいいがなあ、とは思った。
(この項つづく) |
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5/8 秋葉原 電気街3
その店「MAD」は、秋葉原電気街のメインロードである中央通りに面していた。 電気街を何度か取材しているうちに、面白い店を発見した。いわゆる「バラエティ・ショップ」なのだが、店頭に並べてある商品の消費税額の表示がふるっている。 店頭に並べられている商品(手裏剣・スタンガン・盗聴機など)を何となく眺めていると、店内放送が聞こえてきた。これがまた可笑しい。聞き流してはもったいないので、秀逸フレーズの一部をここに記しておく。
店内は刀・斧・ガス銃、などの武器関係、盗聴・盗撮、盗聴・盗撮防止用機器、それと何だか良く知らないが、タダでケーブルテレビが見れるけど、見てはいけない機械(書いてる自分でも、何を言ってるのか分らない)などが、満載であった。現代「アキハバラ」の最もディープな一面を堪能できる。 いわゆる「反権力」的なポリシーを抱いて営業しているのか、変わり者なのか、金銭目的なのか、経営者の本心は計りかねるが、面白い店である事は確かである。 何かに似てるな、としばらく考えていたら分った。 今は亡き、雑誌「噂の真相」だ。 (この項つづく。次回は多分、2・3日後。わかりゃしないが) |
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5/12 秋葉原 電気街4 y軸上のユーシロー x軸(横軸)を空間軸とし、y軸(縦軸)を時間軸とする。 原点「0」は、現在の秋葉原・中央通りJR秋葉原駅高架下。 8日のレポートにある「MAD」は中央通りに面していて、原点より約300mの距離にある。 さて、そこで、ついでにツイッと700mほど移動していただくと、松坂屋デパートのある上野広小路の交差点にたどり着く ( 『MAD』より徒歩約10分)。 その角に「上野広小路亭」という寄席があり、ここで我々イチオシの落語家さん「落語芸術協会二ツ目のエース」ユッピーこと、御存知、三遊亭遊史郎の独演会が、5月30日(日)に催行される。 空間軸を伸ばしたので、ここで時間軸を過去にたどってみると、ああ、こういうことだったのか、三遊亭遊史郎の前座時代( ’97年 二ツ目に昇進)の高座名は、なんと 「三遊亭 おたく 」。 ……つまりは、ずっと前から、おれが秋葉原リポートを、この時期に書く定めであったと認識せざるを得ない。 ではでは空間軸を原点に戻し、時間軸を数年後 (ツインタワー完成予定の2年後) まで進めてみれば、アキバ系オタクは「アキバ系ユーシロー」になるのではないか。小学校4年のとき、台東区火災予防ポスター・コンクールで銀賞をとったおれが推定してるのだから(しかも珠算3級)、そうなるのである。なるなる必ずなる。そ、それが科学というものだ。
―――数年後。 暮れなずむ秋葉原に日本中、いや世界中からおしかけた、ムリョ数万のアキバ系ユーシロー。おのおのお目当てのグッズを抱え込み、夕陽に照らされたその顔には、至福の笑み。世界を支えてるのはこの俺だと言わんばかりの、自信に満ち溢れた表情。静かなる闘志を胸に秘め、一路JR秋葉原駅より家路につく。 ただし、前座を何年もつとめてのし上がって来た、三遊亭遊史郎(その苦労が顔に出てないところが、ギャハハ、粋じゃございませんか)と比べて、アキバ系ユーシローにはElectric Townという語感からも感じられるように、スイッチひとつで「おあとが宜しいようで」ということになる脆弱感は否めないけど。
この項 (秋葉原) まだ2回ほどつづきます。よろしくお付き合いのほどを…… |
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5/19 秋葉原 神田川沿い
この項つづく |
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6/4 秋葉原 電気街・喫煙所
秋葉原中央通り、ヤマギワ電気の向かい、日通ビルの1Fが、いつからか喫煙所になっいて、秋葉原の新名所になっている。おそらく日本一の面積の喫煙所であろう。 週末には大勢の愛煙家が訪れ、換気装置をフル活動させても追いつかないらしく、霞がかかったような室内で、せっせとニコチンを摂取している。 そのホールの一角に、カウンターがあり、案内嬢が勤務している。おれが何回目かの取材に行ったときには、カウンター内で、SARS対策のようなマスクを装着して、深海ガニのような態勢になっていた。けなげである。 何故このような巨大な喫煙所が出来たのかには、訳がある。 すでにテレビニュースなどで報道されたから、御存知の方も多いと思うが、千代田区が秋葉原・電気街の中心部を、地区条例で、路上喫煙禁止地区に指定したためである。 違反すると、罰金を徴収されるとのことである。 しかし、これはいろんな意味で無理がある。 だってさー、歩行喫煙者から罰金を徴収しているすぐ傍を、自動車が排気ガスを撒き散らして走りぬけてるんだもんね (タバコ排斥運動は時代の趨勢である。ニューヨークでもアイルランド全土でも、レストランやパブでの全面禁煙ということになっているらしい。でも、それでも路上での喫煙が禁止出来ないのは、前記のような理由があると思われる)。 排気ガスをホースで車内に引き込み自殺する人はいるけど、閉めきった車内で、一晩かかって、ピースの両切り3缶吸っても、死にはしない。 つまり実害よりも「不快感」を感じさせたものを断罪しているのである。 これは、恐ろしい考え方である。 たとえば「汗くさいデブ歩行禁止」と言ってるのと同じですぜ。 だいいち「民度」とか「道徳感」とかは、行政が罰をちらつかせて向上させるものではあるまい。 驚くべき事に、行政側のパトロール隊が、「警告(注意)を発したのにもかかわらず、それにしたがわなかった場合」に罰を下すのではなく、見つけ次第取り囲んで、改善命令を発すると同時に、半強制的に罰金(過料)を徴収するとのことであるから、これは穏やかではない。 そのようなことであれば、JRに置き換えて考えると、さんざん注意してもあとの絶たない「駆け込み乗車」を防止するためには、乗降口のドアをギロチン式にするべきである、ということになってしまう。それで駆け込み乗車は激減するはずである。 でも、そーゆー問題じゃないでしょ?
まー、千代田区の肩を無理やり持って言えば、人混みの中での歩行喫煙者や、吸殻を投げ捨てる不心得者に手を焼いた、地域行政側の苦肉の策なのかもしれぬ。 なんか、どんどん住みにくい世の中になって行きますなあ。 ……と、通俗的に丸く納めて、秋葉原の項を終わろうとしたが、やめた。書いておかねばならんことがあるので、この項まだ続く。 *「モンタージュ写真」の5枚目のアイディアは「ギ装置Rの右脳と心中」の掲示板のハンクさんとギ装置Rさんとのやり取りからの剽窃です。 |
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(6/4のつづき) 6/21 秋葉原 電気街・喫煙所
まあ仕方ないかな……と思いつつ巨大喫煙所を後にした。 出口の前に看板があった。一読した。カッとした。よく読んでみた。呆然とし、そして逆上した。 ここのところ更新が遅れがちなのは、この時の事を思い出すと、思わず拳を握ってしまい、キーボードを打つ事が出来なくなってしまっていたためである(ウソ)。ようやく右手の人差し指だけ伸ばすことが出来るようになったので、指一本でこのリポートを綴っている(ウソ)。 問題点は山ほどあった。(次回詳述) まず、標語くらい外来語を使わずに書け、と思った。しかしおれの逆鱗に触れたのは、大嫌いな言葉が役所の立て看板に使われていたからである。 声に出すと死にたくなる日本語シリーズ その2 ――― 「ポイ捨て」 ポ、ポイ捨て……。
それどころか、人類史上「ガムをポイ捨て」した人間はいないのではないか。 推理をはたらかせてみると、これはおそらく「ガムの噛みかすの吐き捨て」の事ではあるまいか。それだったら「ポイ捨て」の伝でいけば「ガムの噛みカスのプッ吐き(あるいは『ペッ吐き』)の禁止」と書かなければ、筋が通らない。 どうして行政側は「プッ吐き」と書かないの。うふ。
こちとらも、ガチョーンだのシェーだのアノネ、オッサン、ワシャカーナワンヨーだの(いつの時代だよ)といった流行語で育ってきた人種だ。だから一個人や私企業が使用するならかまわないのだが、公的機関が、それも自分達の決めた規則に反した者から罰金を取ろうてえ者が、こんな言葉遣いをしていちゃあ、いけません。 「日本語は正しく使いましょう」と地域行政側が言うのなら、まだ話はわかるが(それだって余計なお世話であるが)、お上が自ら日本語を破壊するなどとは狂気の沙汰である。 たとえば
かつて、現・東京都知事の石原慎太郎が「『NO(ノー)』と言える日本―新日米関係の方策(カード)」 という本を上梓したことがあった。これはアメリカに対してだから「NO」なのだろうけども、千代田区が出している『路上喫煙にNO!』という本は、日本人が日本人に対して何故か「NO」という外国語を使えという題名である。意味わからん。 石原東京都知事閣下! こんなんでいいんですか!? もし、おれが熱狂的愛国文学者だったら、思わず腰の軍刀に手が掛かっているところであろう。 どうしても外国語を使わなければ気がすまないのなら、同じアジア同胞のインドのヒンズー語の「ナヒーン」を推奨しておく(『ナヒーン』は「いいえ」の意)。 『路上喫煙にナヒーン!』 ナヒーンの「ヒーン」のところの語感が哀感をそそって、よろしいのではないか。 「石原〜!三島が泣いてるぞ!!(高田が武藤に敗北した時の観客のヤジ 調)」 ほんとに、もー、『諸君!』、おれの言ってる事は『正論』そのものだろ。
次回、刑事事件にも発展しかねない、スクープ(おおげさ)を発表する。だからこの項まだつづく。 |
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(第2部。 今回で『秋葉原』は終わるから、勘弁してやらせてくれ)
つねづね感じている事だが、漫才師でもないのに「ボケ」とか「ツッコミ」とか口走ってしまう事は、その道のプロに失礼だとは思う。ミュージシャンでもないのに「ツェーマン、ゲーセン」などと言うのは、どうかと思うのと同じだ。でも、もはや「ボケとツッコミ」は普通の日本語として一般国民に浸透してしまっている。 それどころか「ほぼ日刊イトイ新聞」によると近頃は、「『ツッコミどころ満載』という誉め言葉」という事になっているようだ。さすが、長年、社会の第一線で活躍を続けておられている人のスルドイ感性である。 さて、そういうことなら、心置きなく誉め倒させていただく。
まだまだ言いたい事はあるのだが、誉め疲れしたので、これまで。 この項 おわり
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