ジャパニーズ・タカハシによると 「東京で一番おいしい吉野屋の牛丼は、浅草の場外馬券売り場のそばにある店であり、一番マズイのは山の手線 Y楽町駅ガード下の店舗」 だそうだ。この発言を聞いたときには衝撃を受けた。チェーン店の牛丼屋の味などは、みな同じだと思いこんでいたから。 その超絶グルメ・タカハシが推薦し、完全菜食主義者・ローニン “ヴィーガン” アサクラ ( 『今週の東京11月3日』参照のこと) が太鼓判を押した、新宿南口、エスカレーターをおりたところにある 「讃岐うどん かのや」 へ取材ヘ行ってみた[ 『メロンの告白 11月18日』参照のこと] 。しかし、店は正月休みでシャッターが降ろされていた(店としてはかき入れどきのはずなのに。よほど商売に自信があるのだろう)。 何故、ウドンごときを求めて新宿まで行ったかというと、ひとつ気になることがあったのだ。 えーと、讃岐うどんってさー、鰹ダシじゃないのー? もしかして、昆布だし? そこんところを確認して、もしカツオ≠セった日にゃー、「完全菜食者」を罵倒できる。うひゃひゃ、うれしいうれしい。 「(目を細めて) ほおおおおう。するってえと、魚類は植物ですかあ。そんで、鰹節 ( 削り節 ) はカンナくずとおっしゃるわけで。おらおらおら、んもー、一切のお調べはついてるんだよっ! まあーだシラを切ろうてえつもりか、このスットコドッコイ!!」 などと、ツッコミの嵐を吹きまくれる。 まあそのように追求しても、 「おつゆは『食うもの』ではなく『のむもの』であるから、“完全菜食主義”に偽りはない」 とかなんとか、言い逃れをするに決まっているのだが。 うどん屋が正月休みで、かろうじてアサクラの金看板は保たれた。 こうして、またしても、わけわかんないバカな年が始まった。 |
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積年の疑問が、ふとしたきっかけで氷解することがある。 おれの場合、以前にも書いたように 「なぜ銅像は面白いのか」 という理由がずっと解らなかった。
麻布にある有栖川宮記念公園を取材に行き、図書館前の広場にポツンと佇む「笛ふき少年」の像を、何とはなしに見上げていた時に、脳内のどこかがはじけた。 ―――― 笛、変化しない表情、 …… そうか、そうだったのか―――― おれの子供の頃は、当然テレビゲームなどあるはずもなく、近所のガキが集まれば、かくれんぼや鬼ごっこをし、雨の日や冬の寒い日には、だれかの家でトランプや野球盤や、しりとりなどに興じたものである。 その遊びのなかの「にらめっこ」に名人の女の子がいて、「上目使いの官軍鼓笛隊員」という得意ネタを持っていた。彼女は超上目使い ( ほとんど白目 ) で、横笛を吹くマネに加え、すぼめた口から唇はまったく動かさずに 「ぴいひゃらあ、ぴっぴっぴ」と調子っぱずれな声でうなるのであった。 これは必殺技であり、われわれは何度も爆笑地獄をのたうち回った。 この時、我々に哄笑をもたらした理由と、「銅像はなぜ面白いのか」を一遍に箇条書きにする。
以上の3条件が主要因と思えわれる。 つまりおれの「銅像爆笑症」は幼児体験がもとにあったのだ。 上記の3条件のうち2点が当てはまるとスイッチに手が掛かり、全て合致すると爆笑発作が発症するというわけだ。 これを精神的外傷=トラウマと言って良いのか正確には分からないが、おれの永年の疑問であった「どうして銅像は面白いのか?」 の原因は、この幼年期爆笑地獄体験にあったことは解明できた。 冒頭の写真の「笛ふき少年」は自分の笛の音に酔いしれるように、うっとりと目を瞑っているので、条件1 白目≠ゥらは外れる。それゆえに条件2 変化しない表情={条件3 マヌケな小道具もしくは日常生活ではやらないポーズ 全裸で笛を吹く という2条件を満たしているのにもかかわらず、悶絶せずに自己分析が出来たのだろう。 しかし、おそらく彫刻の完成まで、すっぱだかで目をつぶり笛を吹かされ続けた、モデルの少年は、この事により何がしかのトラウマを負っていないのか。気がかりではある。 公園内にはもう一体、「新聞少年の像」の彫刻もあった。 ちなみに、この彫刻は3≠フ条件を満たしていない さて、はなはだおざなりではあるが、有栖川公園全体について記しておく。 入場無料の公園としては手入れがなされており、敷地内の高低差を利用して、滝、小川、池などが敷設されている、美しい日本式庭園である。落ち葉を踏みしめての散策は、楽しいものであった。 付近には海外の大使館が多いせいか、公園内外の外人率が異常に高い。公園内に併設されている児童公園に保護者も含め20人以上の人間がいたが、日本人が一人もいなかった。でもその事について書くのは、もう眠いので勘弁してくれ。 |
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5秒間の慕情 *スーパー・ロング・グッドバイ * シャーロック・ホームズが「あの女」と言えば、それは「ボヘミアの醜聞」事件で遭遇したアイリーン・アドラーのことであった。奸智にたけた彼女は、ホームズの手から巧みに逃げおおせてみせた。 もちろん小説上の人物ではあるが、作者のコナン・ドイルの女性に対する洞察がうかがえて、興味深い。
1980年代の中頃、おれは地下鉄日比谷線に乗っていた。冬の雨がそぼ降る、誰でも生きているのが切なくなるような、土曜の夕刻であった。 おれが地下鉄に乗った理由は、当時、東急東横線線の日吉に住んでいたS君宅を訪ねるためであった(日比谷線はそのまま乗っていれば東横線に乗り入れる)。 S君は、慶応病院の形成外科から退院して来たばかり。彼は歪んでいる頭蓋骨を矯正するため、まず頭蓋骨にくさび型の切れ目を入れ、そこに切断した自らの腰骨を埋め込むという、何だかよく分からないが、とてもオソロしげな手術からの生還をしたところであった。数回見舞に行っただけなのに、いたく恩にきてくれていて「退院したら、スキヤキをごちそうします」との約束だったのだ。 仲御徒町駅からプラットホームに滑り込んできた車両に乗り込む。車内の床は、靴や傘のしずくで濡れており、不心得者が捨てた新聞紙がバラバラに散乱して、それに泥水が沁み込んで、さながら「走るスラム」化していた。 車両内には、7〜8人の乗客しかいなかった。手近の席に座り、ふと向かいを見ると、当時の人気モデルセーラ・ローウェル≠ノ似た美女が、レザージャケット、レザーパンツという姿で座っていた。ただ、いただけないのは高々と足を組み、腕まで組んで、アゴをやや上に向けガムを噛みながらふんぞり返っていた事だった。 その傍若無人とも言える態度は、当時のおれの感覚からすると、リキみ過ぎで噴飯ものであり、いくら美人でスタイルが良くても、不快感しかもよおさなかった ( い、今ならOK)。 おれはすぐにカバンから文庫本を取り出し、推理小説を読み始めた。仲御徒町から4つ目の駅、平日なら大勢の乗降客がいる茅場町駅で、ふと本から顔を上げる。数人が下車し、かわりに何人かが乗車して来た。しかし例のモデル風女は、あの不遜な態度のまま。 おれの不快感は増した (今ならOK)。 それ以後、その生意気な態度が気に障り (今ならOK)、読書に集注できなくなってしまった (今なら充分OK)。ムカムカしながら本の字面を追うだけの時間が10分程過ぎた (今ならぜんぜんOK。性格ぐらい、なんだ)。 列車が六本木の駅に着こうとする頃、その女が腕組み足組みをほどき、立ち上がった。どうやらここで下車するようだ。 …やっぱりな。なーにが六本木だ (当時は現在よりスノッブなイメージがあった)。あーせいせいする、早くどこかに消えてくれ、と腹の中で悪態をつきまくった。 クソ女がドアの方へ歩き出した。次の瞬間、彼女は思いがけない行動に出た。散乱した泥だらけの湿った新聞紙を、ガサッガサッガサッと手早く寄せ集め、ワシづかみにしたのである。そしてドアが開くと、そのまま毅然と、そして颯爽とホームに降りて行った。 その時おれの脳内では
などの感情が、一気に炸裂した。 よっぽど後から追いすがり、「あなたは素敵です」とか「つきあってください」とか「せめてお名前を」だとか何か言いたかったのだが、生来の引っ込み思案 (本当ですよ) のため、パニックを起こしている間にプシューとドアが閉まってしまい、おれの5秒間の片想いは、あっけなく終焉を迎えた。 電車が走り出すと、未練がましく窓に顔をくっ付けて彼女の行方を追ったが、もうおれの視界の外だった。 名も知らぬ女、もう決して逢えない女。だけど忘れえぬ女。う〜。 そう思うと、たとえ仇敵であれ、名前だけでも判明しているホームズは、おれより幸福だったと言わざるを得ない。 |
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19世紀中頃の日本の学生運動(政治運動)は1868年に体制を打倒し、権力を奪取した(つまり、明治維新)。 そして20世紀中期の学生運動は、1969年の東大安田講堂の攻防戦で敗北し、1972年の「連合赤軍リンチ殺人事件」「浅間山荘事件」で凄惨な結末を向かえた。 おれは子供だったから、さすがにその一連の騒動には参加していないが、世情が騒がしいのは感じていた。 私見であるが、その後の権力側の学生に対する対策も実に巧く、一口で言うと 「学生には真面目に物事を考えさせると、支配態勢が揺らぐから、スポーツとセックスと音楽 (ただし反戦歌はダメ) をやらせておけ。教育は就職してから企業自身が叩きこむ」 といったものであった。 まー、この悪魔の閃きともいうべき、天才的権謀術数策略が、ものの見事に当たって、現代の日本がこうなったというわけだ。
おれよりも、10歳以上も年下のラッセル・ナガヤマが、体育会系のくせして (元・極真会館)、連合赤軍をテーマにした芝居を打つ事になった(らしい)。 ナガヤマの脳内で、どのような「一点突破、全面展開」があったのか知らんが、「鋼鉄の棺」に続いての‘鋼鉄シリーズ’第2弾である。 前回の「鋼鉄の棺」について少し触れておく。 ラッセル・ナガヤマではなく「永山てつお」らしい実直な演劇であった。人間魚雷回天をテーマにした演劇であったが、コーラス、ダンス入りなのにうわついた処が無く、というより、それが効果的にはたらいて、当時の青年達の姿をより真摯に表現できていたと思う。 しかしただ基本に忠実な、当たりさわりの無い芝居を演ったわけではない。特筆すべきは、歴史の中に埋もれた「不発人間魚雷」の事を発掘した事で、頓死というにはあまりにも惨い運命に見まわれた、青年達にスポットを当てていた。 惜しむらくは、舞台で演じた場合、やはり派手な方がショックが大きいため、敵艦に激突・爆破した回天の事ばかりが印象に残ってしまい、冷走人間魚雷と、その乗組員の事が陰に隠れてしまった感があるのは、残念であった。 暗い気持ちになるが、書く。 普通 「人間魚雷」の事は、壮烈に敵艦に体当たりして壮烈な爆死、というイメージであるが、それは母艦から発射された人間魚雷の約5パーセントにすぎず、大抵の場合は「冷走」といってそのまま海底に沈んでいったとのことである。 これは実はとても恐ろしい事である。 敵艦に激突し、爆死した若者は無論、痛ましい事である。しかしそれにも増して、悲惨なのは「冷走」という推進力を失って海底に沈んでいった人間魚雷の操縦者である。その特攻隊員達は、狭苦しい挺内で自爆死か、酸素欠乏による窒息死のどちらかの運命であったのだ。 酸欠による窒息死というと、一酸化炭素中毒のように、「知らない内に気を失っていく」ように勘違いをしがちであるが、それは事実誤認であり、実際は、吸う空気が無くなって、もがき苦しんだ末の死である。 暗い深海で、文字どおり「鋼鉄の棺」の中で「生き埋め」になった特攻隊員の若者は、意識のある間(10時間位は酸素がもったらしい)、何を考えていたのだろうか。 繰り返す事になるが、「人間魚雷」の95パーセントは、「冷走」=煩悶・憤悶の果ての犬死であった。 言うまでもないがすでに死んでしまった彼らを「犬死に」のままに終わらせぬために、今回の永山の提議があったのだ。 その事を知っただけでも、「鋼鉄の棺」を観劇に行った甲斐があったというものである。 永山てつおの今回の「鋼鉄の砦」という芝居の内容は全然知らないが、連合赤軍リンチ殺人事件をとりあつかうのなら、当然のごとく「同志殺し」という20世紀の学生運動末期の悲惨さを描かないはずはない。 前回は戦争末期の地獄で、今回は学生運動末期の地獄である。 別府温泉の地獄巡りとはわけが違うのである。タフ・マッチである。 やはり「鋼鉄の砦」からも「不発魚雷」は発掘されるのだろうか。 うーん。 ……やっぱり、シリアスな話題は、苦手だー。 この項(東京大学篇)、明日以降の「安田講堂の下で発泡酒」へ続く |
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(23日のつづき)
安田講堂前の広場に、あまり目立たないが、地下へ降りる階段がある。それが東京大学中央食堂への入口である。 講堂の下は広大な地下食堂になっており、階段を降りた階が、献立見本とチケット売り場になっている。 特筆すべきは学食であるのにもかかわらず、アルコールが販売されている事である。ビールやワインではなく、発泡酒なのは、やはり、少し気が引けているのであろうか。 でも、東大の学生はいいなあ。われわれの学生時代に学食にアルコール類がおいてあったなら、これは間違いなく、毎日宴会クダ巻き会場になっていたことだろう。 今から思うと、まーよくも毎日毎日酒を飲んでいたものだ。おのおの言いたい事をワメキ散らした後は、悪ふざけ。たとえば横断歩道をグラフの横線に見立て、オシッコをしながら横断歩道を渡って行き、誰が一番長く続くかとか、そんな事ばっかしていた ( あ、言い忘れていたけど、おれたちは昼間には働いて、夕方から夜間大学へ通っていたのであって、仕送りの身で呑んだくれていた訳ではないよ)。 われわれと東大生の違いは、頭の良い奴は、その辺の節度が分かっているという事だろう。ゆえに学食にも酒を置いていただけるものと思われる。 食堂の出入り口は講堂の裏手にもある。そのすぐ隣に東京大学生活協同組合の売店があった。まあ、普通のコンビニエンス・ストアと変わらないのだが、品揃えで普通の店と違うところは「東京大学グッズ」を販売している事だ。 赤門ワイン・東大Tシャツ・東大キーホルダー・東大ボールペン等。おれは「東京大学論文用紙」と「東京大学大学ノート」を購入した。 昨今、国会議員の学歴詐称問題がマスコミを賑わしておるが、いまだに学歴で人格を評価する人が多いという事実は、ちょっと驚きである。でも、そーゆーことなら、それを利用しないテはない。「東京大学」の文字入りの論文用紙で、いろいろな人に手紙を送りまくれば 「ヤマザキさんって、馬鹿な事ばっかりいってるようでインテリだったのね。…ステキ」 などという事態になるのではないか。こちらは一切ウソを言わないで、相手が勝手に勘違いをしてくれるという寸法である。 たとえ露骨に 「東大出身なのですか」 と尋ねられても 「いや、まあ、その……(微笑)そんな事どうでもいい事でね」 とか言っておけば、「高学歴なのに謙虚」という評判が沸きたつ事であろう。これで国会議員になれる。乗り物フリーパスも貰える。食い逃げしても国会会期中ならタイホもされない。嫌いな奴も殴り放題だ。 国会議員なんて面倒そうだからやらないけど。 この項、明日29日につづく ( 23時頃アップロードの予定 ) |
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昨日(28日)からつづく
たとえ下町のガキだって、一年たてばひとつ齡を重ねる。 中学生ともなれば、その辺の公園で、かくれんぼをしているだけでは物足りなくなり、あちこちへ遠征するようになる。 おれの中学生時代は、住んでいる上野から、浅草・隅田公園・入谷・池之端などへ、自転車で友人達と連れだって小さな旅に出かけたものである。 夏のある日、遊び仲間と(=悪ガキ集団) 湯島にある文京総合体育館の室内プールに行った帰りに、東大に行ってみようと衆議一決した。東大までは体育館から自転車で数分たらずの距離であった。 東大には池(三四郎池)や滝や林があるのでウキウキしながら自転車を疾走させ、最も近い東大の南端にある竜岡門を目指した。 ほどなく門の入口に到着した。そのまま以前に数回訪れた時のように、自転車を走らせ構内に入っていこうとしたら、先頭を走っていた I 君が詰め所にいた門衛に呼びとめられた。 そいつは(50〜60歳くらいに見えた) I 君に「お前等の来るところじゃない、帰れ」という意味の事を口走っていた。 当時から東大構内は、旅行ガイドブックの散歩コースとして掲載されていたし、なにより都営の路線バスが乗り入れて構内を走っていたので、馬鹿馬鹿しい言いがかりに笑っていたら、逆上したその門番は、 「本富士警察署に(竜岡門のすぐそばにある)電話して、補導させるぞ!」 などと、ほとんど「言うこと聞かないとサーカスに売るよ」みたいな、昭和初期のおっかさんのような事をワメきはじめた。われわれは呆れ果て (さすがに中学生になっていたからね…)、命を賭けても東大で遊びたかったわけではなかったので、自転車をUターンさせて、もと来た道をもどった。 引き返す途中でメンバーのT君が面白い遊びを考えついた。先ほど入構を阻止された竜岡門の30メートルぐらい手前から、自転車を全力疾走させて、警備員詰所に「バカヤロ〜」と言って突破しよう、と言うのであった。 馬鹿ガキというのは恐ろしいもので、その案は、即、実行に移された。 5人(台)が一列になり、門の横の詰所の近くに通行人が来ないタイミングを計って、自転車とはいえ、物凄いスピードで突入した。みんな心の中では、もし捕まったらどうしようという一抹の不安もあったので、(それくらいなら止めとけばいいものを…) 必死でペダルをこいだ。 当然、門衛のいる詰所に向かって I君 「バカヤロッ!」 T君 「バカヤロッ !!」 Y君 「バカヤロッ !!!」 H君 「バカヤロッ !!!!」 おれ「バカヤロッ !!!!!」 と叫びながらである。 そのときの門番のオヤジの呆然とした顔が面白く、われわれは懸命に逃走しながらも、サドルの上で身をよじって笑った。 あんまり愉快だったので、その後何度かもう一回やってみようという提案がなされたが、やはり、とっ捕まる可能性のことを考えると、ちょっと恐く、そのイベントはその時一度だけのものとなってしまった。
今から考えると、「日本をもっと素晴らしい国にしよう」と、命がけで学生運動の闘士達が闘っていた頃で、バカなガキはバカな闘争に明け暮れていたとしか言いようがない。 そう考えると、あの門衛のおじさんの態度は、不穏な空気の流れる東京大学構内で、われわれに何かあってはいけないと思ったゆえの、親心からの事であったかも知れぬ。 おそらく職務に忠実なあまり、発言に混乱をもたらしたものと思われる。今更ながらではあるが、謝意を表しておきたい。あれはあまりに幼すぎるわれわれの過ちでした。すみません。 ただし、あの安田講堂にたてこもった闘士達には 「あれは若気の至りでした」とは絶対に言ってほしくはない。 そりゃーやり方にいろいろ問題があった事は事実だろうけど、あの時代に提出された、世の矛盾、不正、疑義、理不尽などは、根本的にはほとんど解決されていないではないか。サラリーマンが、まともに一生懸命働いて 「もう家はムリだねー。あははは」 などと言っている現状が、とても正常な事態とは、思えない。いろんな意味で。 というような話になるのか、全然違うのかまったく分からないが、永山てつおの芝居がいよいよ明日から上演される。
この項(本郷・東京大学) 終わり。 |
今週の東京 WEEKLY TOKYO
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