12/22 青山  岡本太郎記念館 (港区)   ヤマザキ報告 ( 脳内シベリア寒気団報告・写真)

 
 ●岡本太郎記念館

  東京メトロ 表参道駅
  A1出口より 
     徒歩10〜15分




       縄文の雄叫びはヘブン



 表参道駅A5出口より、岡本太郎記念館に行く道筋には、有名(?)・高級(?)ブランドショップらしき店が連なっていた。

   


 読者諸姉諸兄は、これらの店に対しておれが口を極めて悪罵を投げつけるだろうと想像されるかもしれないが、さにあらず、埴輪のような顔になって、ただただ通りすぎた。


 「高級ブランド=悪」と短絡的に決めつけているわけでもない。たとえば鞄屋を例にとると、上質の素材で、熟練した職人が丁寧に作り上げたバッグが、「使いやすいし丈夫」との評価を得て、その鞄屋の名が有名なブランド名になる、というのは当然であろう。そして、そのバッグが祖母から母へ、そして孫へと受け継がれ(ー破損した場合には専属の修理を受けてー)、結局は安物のバッグを買うよりも結果的に割安であるということになれば、これは文化である。

 

 ただし、理性では上記の様に理解しているのだが、
本能の散歩者、リアル・プロムナーダーの肉体は、どういう訳か、眉根にしわを刻み奥歯を噛み締める、という事態になりつつあったのも事実ではあった。


 行けども行けどもブランドショップジャングル。

 先ほど鞄屋を例に取り、高級ブランドショップも悪くはない的な事を書いたが、各店舗内をショーウィンドー越しに見てみると、ほとんどが服飾品店であった。流行りすたりの激しいものであるから、これでは祖母から孫へもへったくれもない。アッチョンプリケー。


 ビールより1階級下の発泡酒よりまだ下位にある「第3のビール」とやらの税率が上がることが、テレビニュースで話題になっている国家とはとても思えない。わずか数十円でも倹約するために、サラリーマンが駅のコンビニエンスストアで、ビールもどきを買っている涙ぐましい姿と、この風景とのギャップは何なのだろう。

 ともあれ、
田舎者に冥土の土産を背負い込ませ死に銭を咥え込んでニタリと笑う魔女の館群に眩暈を憶えながら とってもステキなオシャレな街を歩くと心も軽やかになり、岡本太郎記念館に向かってスキップで前進していった。



  

 たった10数分間の行程であったが、私の眉間に刻まれたシワがグランドキャニオンの渓谷と同程度の深さになり、噛み締めた奥歯にかかる重圧が60tに近づく頃、岡本太郎記念館に到着した。


この項つづく


22日のつづき

12月31日

入館チケットは玄関ロビーで売っていた。おみやげ物コーナーのレジと併用しているようだった。女性館員がチケットをおれに手渡しながら
「館内の作品は撮影禁止ではありませんので、どうぞご自由に撮影してください」
と言ってくれた。その言葉で眉間のグランドキャニオンが50パーセント浅くなり奥歯の圧力が30tに減少した。
「それは岡本先生の御遺志なのですか?」
と尋ねると、その女性館員は
「意思というよりも、当館は開館したときから撮影を禁止しておりませんので……」
と言ってにっこり微笑んだ。
眉間の皺が江東区の海抜程度までになり、奥歯はナイロン製腰巻にアイロンを当てている程度の圧力まで戻った。


  


                                   「午后の日」
 展示室に向かうと、「午后の日」が出迎えてくれた。
 もはや眉間は気温50度下のチョコレート状態。奥歯といえば、そんなものは宇宙誕生の昔から存在していなかった。



 岡本太郎の芸術のキーワードは「縄文文化」である。である、などと偉そうに言うのも気がひけるが、記念館の入口ロビーには「縄文人」のオブジェが一番先に目に入る様に配置されていた。岡本太郎が縄文式土器
(火焔土器)を見て強い衝撃を受けた事は有名な話しである。

 火焔土器(参考資料)


 この気持ちは、分かるような気がする。おこがましいが。
日本人の美術関係の芸術家が悩むのは、結局自分たちのやってる事は「中国・韓国美術もしくは欧米美術の亜流」でしかないのか? ということらしい。そんな壁にぶつかっていた岡本太郎が、縄文式土器を目の当たりにしたのだ。

「縄文人」


 原日本文化、いや「日本」という言葉さえない、天皇どころか卑弥呼以前の文化。宇宙と人間と動物が調和のもとに存在していた時代。その縄文人の心を想像しながら、岡本作品を見ていくと、突飛な感じや奇矯な印象は薄れ、至極当然な、しかし心を内側から爆発的に解放してくれる作品群に見えてくる。


 縄文時代というと遥か昔のように感じるが、いや、実際遠い過去なのではあるが、縄文時代って一万年もあるのだ。よく比較される弥生時代は約600年間(最近の研究では約1100年間という説もある)

 メチャクチャな比較だけど、街でチーマーにカラまれて、「600円出せ」と言われたら、怪我をするのもつまらないのでくれてやるけど、「一万円出せ」と脅されたら、おれだったら命がけで闘っちゃうね。こっちは発展途上国で、ものスゴーク恐い裏世界のオジさん達とすったもんだやってたんだかんね。10000と600じゃ、そのくらいの差があるのよ。

 や、そんな比較はどうでも良い。ここで大事なのは
縄文一万年、その後の弥生から現在に至るまでが、たったの約2300年という事実なのだ。縄文の4分の1ぐらいの時間が過ぎただけである。



 つまりわれわれは思ったより縄文人の血が濃く流れているはずである。弥生以降のハチャハチャ時代が良い意味でも悪い意味でも強烈だったので、自分たちのアイデンティティをすっかり無意識層の底に沈めてしまっているのではないか。



 そう思って作品を眺めてみると、歓び怒り叫び唄い踊る、我々が忘れかけている、しかし内包しているはずの縄文の魂の雄叫びを爆発させよというメッセージが見えてくる。



 
 アトリエには、奇跡的にメキシコで発見された壁画の原画が置かれていた(壁画は現在修復中。来年の7月には、なんと、あの『イタリア・コンプレックス公園』のとなりにある日本テレビの敷地内で公開されるそうである)




 庭に面した暖かい陽射しが降りそそぐ居間には、可愛らしい作品達と、巨匠の蝋人形と、夫妻のお写真が展示されていた。
 この居間を撮影していて不思議な事に気がついた。オートフォーカスのカメラのピントがブレるのだ。2回撮影しに行ったが、同様の結果になった。どうも今でも岡本太郎は「そんな事をしているヒマがあったら踊れ!叫べ!」と伝えつづけている様である。




 この眼差しは縄文を望見しているのか、縄文から現代を、そして永遠を見つめているのか。



 





 「うてゅうの人々」よ、生き延びてくれ! そんでもって、注意深く「弥生以降」を利用して、縄文を顕現させよ!!
(突発的興奮状態)

 この暮れも押し詰まり切ってクソ忙しい時に、何の謎カケだよ。



 というわけで、来年もダラダラやりますのだ。ヨロシクヨロシク。













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