江戸時代以降の‘近代・現代の東京ゾーン’では、大森貝塚を発見した、アメリカ人動物学者エドワード・S・モース博士のコレクションに興味をそそられる。

 1877年に来日したモース博士は、研究のかたわら、当時の日本の職人が作った日用品に着目し、コレクションした。安価であり独創的で、しかもしっかりとした技術に裏打ちされた、それらの製品には、さすがのモース博士も舌を巻いたのであろう。日本滞在記 (『日本その日その日』)には、モース博士の暖かい視線を垣間見ることができる(残念ながら原文は展示されていない)。

 第2次世界大戦のコーナーでは、当時の東京の空襲で、焼けただれた電柱、空襲で折れ曲がった鉄骨などと共に、動物の剥製が展示されている。なぜ場違いな感じのする動物がそこにいるかという訳は、以下のとおり。

 第2次世界大戦末期、東京は空襲の危機にさらされていた。(以下『江戸東京博物館 空襲と都民ー東京大空襲NO.26』より抜粋)「もし、動物園に空襲があって檻が壊れたりして猛獣が逃げ出したらあぶない、という理由から、ライオンやゾウやクマなどを処分、つまり殺すことになったのです。1943年八月のことでした。(以下略)」
 つまり戦争で犠牲になった動物たちである。このとき殺処分された動物は27頭。

焼けただれた電柱 薬殺された動物 餓死させられたゾウの牙(ジョン)


 ゾウのジョンの牙のケースの中に掲示してあった解説。、
 「当時上野動物園には3匹のゾウがいた。オスのジョンとメスのトンキーとワンリー(花子)である。なかでもトンキーは体が小さく性格がおとなしく利口で、芸をよくしたので動物園の人気者であった。
 毒の入ったじゃがいもを与えたが、決して食べようとしなかったので、餓死させることにした。トンキーは飼育係の人が来ると、芸をしてみせた。そうすればエサがもらえると思ったのであろう。
 結局ジョンは絶食後18日目の8月29日に餓死した。たまりかねてひそかにエサを与えていたワンリーとトンキーも9月11日、9月23日に死んだ。」

 この話を戦後しばらくして、ラジオで聞かされた日本の小学生は、皆、声をあげて泣いた。今でも泣いている。これからもずっと泣き続ける。


 
戦後エリアでは街頭テレビが復元されていて、われらがヒーロー、北朝鮮生まれの最強日本人プロレスラー力道山の勇姿を見ることができる。


 ●江戸東京博物館は、じっくり見学していると1日はかかる。チケットを持っていれば館外への出入りは自由だ。地階の自動販売機でコーヒーを飲むのも良いし、軽食コーナーで甘味を味あうのもいいだろう。地階の土産物屋のほうが、展示場内にあるショップより商品が充実している。


 もうひとつ。スタッフの勤務態度がなぜか気にかかる。不親切とかつっけんどんであるとかではない。むしろその逆である。些細な質問をしても、懇切丁寧な対応をしてくれる。まずチケット売り場にいる女性スタッフから120%の笑顔で迎えてくれる。そして入り口でチケットにスタンプを押す女性スタッフも「スーパー・アルカイックスマイル」とでも言うべき笑顔である。この笑顔をもう少し分かりやすく表現すると、「あなたが北のスパイであることは、私たちは全てとっくに見抜いているからね。」という表情である。

 入り口を抜け目の前にある実物大の日本橋を渡りきると、そこにはもう別の案内嬢が、例の笑顔で待ちかまえている。「いらっしゃいませ、ごゆっくりご観覧ください」などと声をかけられる。自然な感じで「ありがとう」と返答しようとするのだが、のどがカラカラになって声が出ない。しかたなくコメツキバッタのようになって、ペコペコ頭を下げながら通り過ぎる。どぎまぎする。右手と右足、左手と左足が一緒に出る変な歩き方になってしまう。冷や汗が出る。展示物を見学しているふりをして、じりじりと距離をかせぐ。30メートルくらい離れたはずなので、少し気を落ち着かせて、案内嬢の方を見ると、じっとこちらの動向をうかがっている。「ワーーーッ!!」と叫んで走り出したい衝動を理性で押さえ込み、無声映画のコマ落としのような動きで、角を曲がり、彼女の視線の死角に入る。

ムガの背後に案内嬢  .帰り道、入り口付近のエレベーターを振り返ると・・ ガードマン登場

 ほっとしたのも束の間、向かい側からガードマンが歩いてくる。しかし、顔はガラスケースの中を覗き込みながらの移動だ。何をいまさら展示物に興味をそそられるものがあるものか。一年中この博物館で働いているのに。ウインドーの反射を利用して、こちらの動きを探っているのだ。「冷静になれ、冷静になれ」と自分の心に言い聞かせ、逆にこちらから睨み返すと、そのガードマンは、手を後ろに組み、顔をやや上方に向け口笛を吹き、半径3メートルの円を描きながら、ゆっくりと歩き回るという、スタニスラフスキーが大喜びしてコザックダンスを踊りだすような芝居を見せてくれた。
 
 こ、これはもうヤバイ。とっとと任務を遂行し、トンズラしようと、待ち合わせの5階ミュージアムショップわきのトイレに駆け込む。手はずの通り奥から2番目の個室に入り、靴の二重底からマイクロ・フィルムを取り出す。すでに小便をするふりをして待機している日本在住の諜報局員のズボンのポケットに、ブツを捩じ込む。その瞬間、350人の日本側対スパイ特殊部隊が突入してきて、取り押さえられ、首を締め上げられる。汗が噴き出し、白目になり、舌がとび出る。青酸カプセルも噛み砕けない。やっとのことで「ワタシ、チガウ、スパイ、ナイ」などと呻いても、後の祭りだ。

   ――――――― 無論、妄想であるが、江戸東京博物館のもうひとつの楽しみ方は、スタッフの独特としか言いようのない“ある種のトーン”を利用して(くどいようだが不快な態度ではない)、「自分が『北』(あるいは東)から来たスパイを演じる」ことである。


●2000年1月になって江戸東京博物館を再訪してみたら、「薬殺された動物たち」の展示物は撤去されていた。尋ねてみると、随時展示品は入れ替わっているとのことであった。不憫な動物たちは、今は博物館の倉庫に眠っている。詳しいことは、直接、博物館に問い合わせてくれ。
●奇怪なことに “スタッフの、ある種のトーン” は日曜・休日にはまったく感じられない。スパイの気分を味わいたかったら、平日に訪れるべきであろう。



  深川江戸資料館 
○地下鉄大江戸線 清澄白河駅  A3 出口より徒歩3分  入場料 大人300円 小中学生50円

 江戸時代の深川の町並みを再現してあり、当時の庶民の生活がしのべる。屋根の上の猫もかわいい。スタッフの態度は自然であり、妄想は広がらない。

 ただし、入館時に館内案内のパンフレットをもらえるのであるが、これには日本語版と英語版があり、チケット売り場のスタッフの判断でどちらかを渡しているようなので、本物の東洋系スパイで、自分の日本語の発音、服装、しぐさなどが、日本人になりおおせている自信がある場合には、どちらのパンフレットが出てくるか試してみると良い。

 普通の日本人は「日本人になりおおせているつもりの外国人スパイの物まね」をしてみると面白い。この場合、英文パンフレットが出てくればミッションは成功である。




●白河清澄駅A3出口より徒歩3分の距離に(深川資料館とは反対の西側)清澄庭園がある。気候さえ良ければ寄って見る価値はある。
入園料 150円   小学生および65歳以上は無料  休園日 年始年末(12/29〜1/3)













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